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ジェットスターで行く神戸・京都の旅~その11 巨大石室を見学する

北野線の終点、北野白梅町(きたのはくばいちょう)に到着。
車がガンガン通る大きな交差点に面食らった。静かな所だと勝手に思い込んでいた。 

今出川通りの西の基点。今出川通りはここから東へ、
同志社大学の前、鴨川を渡り、百万遍の交差点を経て、銀閣寺まで続いている。

北野白梅町の交差点

1本下って一条通りを歩く。なつかしい感じの商店街。

付喪神(つくもかみ)とは、長い年月を経た道具に憑く神。
付喪神たちが夜中に一条通りを行進(百鬼夜行:ひゃっきやこう)したそうだ。
北野天神に骨董市が立つので、打ち捨てられた道具たちが、そこに向かって行進しているのだ。

一条通り大将軍商店街 

この百鬼夜行に因み、一条通り大将軍商店街を「妖怪ストリート」として売り出している。
各々の店先には手作りの妖怪が飾られている。
道具に憑くはずだが、鬼太郎っぽいのとか1つ目小僧とか、ちょっと趣旨にズレているヤツもいる。

大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)。
京都の四方に配されている大将軍神社の1つ。方位神。現在の祭神はスサノオと五男三女神。

大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ) 

御前(おんまえ)通りを北上して北野天満宮に至る。
この辺りにTOFU CAFE FUJINOという、豆腐料理を食べさせる店、があったはず。
・・・見当たらなかった。 

北野天満宮の鳥居前にはタクシーが屯していて、
運転手がだらしなく煙草を吹かしていたりする。 なんとなくローマっぽい。いい感じ。

ローマっぽい 

ゆるやかにカーブした参道を進む。北野天満宮は全国に1万2千社ある天満宮の東の総本社。
祭神はもちろん菅原ちゃん、菅原道真公である。

藤原基経(ふじわらもとつね)の影響力を排除しようとした宇多天皇・・・
「玉茎不発、ただ老人の如し」と、ED宣言。基経の送り込んだ娘、温子(よしこ)との子作りを拒否。
一方で天才エリート官僚、菅原道真を重用。
醍醐天皇へ突然の譲位を行い、道真と共に院政を行う。 

藤原基経の没後、息子の藤原時平(ふじわらときひら)は、
醍醐天皇に娘を輿入れさせることに成功するも、子供が生まれない。
宇多院の第3皇子(斉世親王)と道真の娘との間には、男子(源英明)が生まれてしまう。

アセった時平、謀略により、道真を大宰府に左遷してしまう。
道真を守るべき宇多院は、この頃は仏様に夢中で都を離れていた。

時平は、宇多院不在の隙を突いて突然道真を断罪、即左遷したのである。
大宰府に飛ばされた道真は、2年後に没する。59歳であった。

東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

参道を進む  

楼門が見えてきた。お正月用の巨大絵馬が飾られている。

太閤井戸の前に、「北野大茶湯之址」と刻まれた石碑がある。
九州平定と聚楽第完成の祝賀イベント、北野大茶湯(きたのだいさのえ)が行われた場所らしい。

身分を問わず誰でも参加OK!の画期的なイベントだったが、参加者が集まらず、10日間の予定が、たった1日で終了したとか。

お正月仕様 

楼門を潜って左側には、大きな屋根を持つ絵馬所があって、たくさんの絵馬が掲げられている。
参道が少し左にズレて、正面に三光門。逆三角形のカッコいい楼門である。

本殿は1607年に建てられたもの。秀頼さんが寄進。国宝。

北野天満宮の創建は947年。道真が大宰府で没してから43年後のことである。

三光門 

道真の没後、都では数々の怪事件が起こる。
道真左遷に関わった者は次々に死に、清涼殿は雷に打たれて炎上してしまう。
人々は道真の祟りと噂した。

ビビり上がったのは藤原氏。
壮大な社殿を造営、時の天皇(一条天皇)を連れて来て「天神」の称号まで贈らせた。
道真公は天皇を超えて、天つ神になっちゃったのである。

北野天満宮公式由緒には、道真怨念説は一切書かれていなかった。

北野天満宮拝殿 

本殿の見学を終えて、境内の西側へ。菅原道真が詠んだ「手向山」の歌碑があった。

宇多天皇に随行して奈良を訪れた際、手向山八幡で詠んだ句。
オトーサンは全く無知だが、百人一首に含まれる歌らしい。

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 

北野天満宮の敷地の西側には、随分低い所に天神川が流れている。

秀吉が築いた、京の町をぐるっと一周取り囲む防塁、御土井(おどい)の説明板があった。

天神川が掘で、土手が堤である。
御土井の内側が洛中で、外側が洛外だ。
鞍馬口とか、丹波口という地名は、御土井の切れていた場所だ。
オトーサンは「御土井」のことは全く知らなかった。まだまだお勉強が足りないな。  

御土井  

北野天満宮の隣に、平野神社があるはずだが、なかなか行き着かない。
行き着かないまま、北野白梅町の電停に戻って来てしまった。

時刻は11時半。小腹が減った。電停の周囲には、特に飲食店も見当たらない。
電停の隣にある、イズミヤというスーパーに入ってみる。飲食店もイートインもなし。
出店のたい焼きを買って外に出る。

北野白梅町の電停で、電車を待つ間にペットボトルで流し込んだ。

たい焼き 

帷子ノ辻に戻って来た。持参した地図を見ながら、蛇塚古墳を目指す。
グーグルアースで偶然見つて以来、ずっと行ってみたかった所だ。

路地の入口に、太秦南堀ヶ内町の住宅地図があった。地図を見ると、秦さん家が数軒あった。
今でも秦さんが住んでいるのだ!

松竹撮影所の横を通る。塀の向こう側に、江戸時代の町並みが少し見えた。
必殺仕事人シリーズなどがここで撮影されたそうだ。

松竹撮影所 

10分くらい歩いて蛇塚古墳に到着。全長75メートルの前方後円墳。
被葬者は不明。秦河勝の墓だとする研究者もいる。

密集した住宅地の真ん中。後円部を取り囲む路地に沿って、扇形に民家が並んでいる。
前方部と石室を覆う盛土は失われている。石室が剥き出し状態。
住宅地の中に、露出した石室だけが取り残されている。

扇形に民家が並んでいる 

大きな岩で石室を組んである。赤みを帯びた堆積岩。崩れ易い岩だ。
岩は特に加工された様子はなく、自然のままに見える。石室は鉄骨で補強済み。
この巨大石室は石舞台古墳に匹敵する大きさがあるそうだ。  

耐震補強済み

石室の周囲はフェンスで囲まれていて、事前情報によると、通常は施錠されているようだ。
何故だか鍵は開いていて、石室の中には先客がいた。
三十路後半くらいの女性で、なかなかのべっぴんさんだった。

挨拶をしてから石室に入る。
お互いに同好者と分かったようで、「ここ、すごいですねぇ~」と顔を見合わせながら見学する。 

自然石

もしかしたら先の女性が、然るべき手続きを経て解錠したのかも知れない。ラッキーだった。

先客の女性とはその後特に発展することもなく、蛇塚古墳を後にした。
まあ、そんなもんである。(つづく) 


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オトーサン

Author:オトーサン
昭和生まれのおじさん、九州地方の北の方生まれ
訳あって現在、北陸地方のとある町に出稼ぎ中

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