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ジェットスターで行く神戸・京都の旅~その10 静御前に会いに行く

木嶋神社の前を東西に走るのが太子道。広隆寺へ続いている。
秦さんと聖徳太子は、とても仲良しだったようだ。蚕ノ杜電停に戻る。 
 
蚕ノ杜から乗った電車は、パトカーのような塗装がされていた。パトレイバーみたいだ。
蚕ノ杜の1つ隣、太秦広隆寺(うすまさこうりゅうじ)電停で下車。

パトレイバーと広隆寺

秦一族のリーダー、秦河勝(はたかわかつ)が建てたのが広隆寺。603年の創建。
聖徳太子から賜った仏像を御本尊とする。 秦一族の氏寺だ。 

広隆寺境内 

国宝第1号の弥勒菩薩半跏像(みろくぼさつはんかぞう)など、すごいヤツがいっぱいあるらしい。
第1号は社会科の教科書には必ず載っているから、見たら「ああ」と判るだろう。

第1号を拝観するには700円の料金が掛かる。貧乏人のオトーサンは拝むことが出来ない。
無料部分のみ見学する。 

国宝第1号 

広隆寺を出て映画村方向へ少し歩くと、ローソンの向かいに大酒神社(おおさけじんじゃ)がある。
元は広隆寺の境内にあったが、神仏分離により遷座されたようだ。境内は狭い。

祭神は秦始皇帝、弓月王(ゆづきのきみ)、秦酒公(はたさけのきみ)。 

弓月王とは、日本にやって来た秦一族のルーツで、秦酒公は秦河勝より古い時代のリーダー。

「仲哀天皇4年、秦始皇帝の裔、秦氏の祖、功満王(弓月王のお父さん)が来朝し、
始皇帝の祖霊を広隆寺に祀った」と由緒書にある。

大酒とは「大避」で、戦乱を避けて日本にやって来たので、「大避」である。
災難避けのご利益があるそうだ。大酒神社には、お酒の神様は奉られていない。

大避神社

太秦広隆寺からまた1駅だけ電車に乗って、帷子ノ辻(かたびらのつじ)で降りる。
帷子ノ辻から折り返して北野線が分岐している。

壇林皇后(嵯峨天皇の后)の葬列がこの辺りに差し掛かったところ、
にわかに風が吹いて、棺を覆っていた帷子が飛んだので帷子ノ辻。

帷子とは、夏用の麻の単衣のことらしい。雅である。

レトロ電車

北野線に乗り換え。レトロ風電車に乗って1駅、常盤電停で降りる。

嵯峨野高校の前を通り、踏切を渡ると、ほどなく源光寺という寺の前に着いた。小さな寺である。
「唯一全国地蔵尊霊場会総合本部」などなど、仰々しい看板がたくさん掲げてある。
ちょっと怪しい雰囲気。人気はない。 恐る恐る山門を潜る。

常盤御前の墓があると聞いてやって来たのだが、境内にはそれらしい墓は見当たらない。
見つけられないまま寺を出た。

源光寺 

地名の由来は、嵯峨天皇の第3皇子、源常(みなもとのときわ)の別荘があったことから。

天皇の息子が源氏姓を名乗っているのは、嵯峨天皇が子を作り過ぎたから。
所謂、臣籍降下というヤツ。 嵯峨源氏のルーツ。

生八ツ橋「夕子」号に乗って、宇多野(うたの)電停で下車。

宇多野電停と夕子号

国道を北へ行って、福王子神社を見学。宇多天皇のお母さんを奉っている神社だ。

福王子神社 

福王子神社から少し歩いて、
第58代光孝天皇(こうこうてんのう:宇多天皇の父)後田邑陵(のちのたむらのみささぎ)を見学。

あまりメジャーな御陵ではないが、宮内庁により丁寧に管理されている。
見覚えのあるシンプルな注意書きあり。

草木が茂って判りにくいが、直径30メートルくらいの円墳。
宮内庁による比定地で、本当にこれが光孝天皇の陵であるかは、ちょっと怪しいようだ。

光孝天皇は55歳で即位、58歳で崩御されている。温和な方であったらしい。

のちのたむらのみささぎ

御室仁和寺(おむろにんなじ)電停まで歩く。
天気予報は良い方に外れて、日差しもあるし、そんなに寒くない。

御室仁和寺の電停は、仁和寺の山門の真正面にあって、寺社風の造りになっている。

光孝天皇の遺志を継ぎ、宇多天皇が仁和寺を落成。
出家後の宇多法皇が住んだので、「御室」である。

御室仁和寺

宇多天皇の陵墓は仁和寺の裏山にある。世界遺産仁和寺は、時間と予算の関係で見学しない。

御室は体温計で有名なオムロンの創業地。(つづく)


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Author:オトーサン
昭和生まれのおじさん、九州地方の北の方生まれ
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