立山温泉跡と泥鰌池
江戸時代の初期に発見された立山温泉、往時は立山信仰の拠点として
大変賑わったそうですが、安政5年、飛越地震に伴う土石流で壊滅。

飛越地震の犠牲者を弔う、立派な慰霊塔が建てられていました。

その後、明治になって再興、立山砂防の基地もここに作られたそう。
昭和44年、豪雨により麓から立山温泉に至る道路、温泉施設が被災。
翌、昭和45年のアルペンルートの開通もあって、昭和48年に廃湯。

立山温泉跡は後回し、先に泥鰌池の見学に行くようです。

天涯の橋という吊り橋、けっこう揺れるし・・高所恐怖症です。

怖い高さから、湯川(常願寺川)を見下ろす。

頑張って、揺れる橋を渡って、5分くらいで泥鰌(なまず)池に到着。

泥鰌池も、飛越地震(鳶崩れ)によって出来た、堰止湖だそうです。
崖の中腹、横に走るスジが気になって・・人為的なものに見える。

砂防博物館に展示されていた地図、黄色い丸が泥鰌池です。
崖のスジは、トロッコ軌道の跡だったのでしょうか?
旧治山事業専用常願寺川線、69豪雨により寸断、実質廃線?

翅も尻尾も曲がってる、羽化不全の赤トンボ、がんばれ~

この池に小舟を浮かべて、温泉客が遊んだそうです。

帰り道、クマの噛み跡を撮っていたら、最後尾になっちゃいました。

不本意ながら殿(しんがり)を務めることに・・背後が怖いよ。

立山温泉の浴槽跡、そんなに大きくなくて、大人数は入れないなあ。

50年前の、昭和のタイルが残っていました。

温泉跡を撮らずにトンボを撮ってる変わり者です。

これは新しい休憩所かな、あの辺りに立山温泉の母屋があったそう。
ハチの巣があるので行くな!って、見学は出来ませんでした。

ここはカルデラの底ですね、山崩れや土石流が発生したら危険な所。
で、温泉街は消滅、砂防基地は移転したみたい。(つづく)
大変賑わったそうですが、安政5年、飛越地震に伴う土石流で壊滅。

飛越地震の犠牲者を弔う、立派な慰霊塔が建てられていました。

その後、明治になって再興、立山砂防の基地もここに作られたそう。
昭和44年、豪雨により麓から立山温泉に至る道路、温泉施設が被災。
翌、昭和45年のアルペンルートの開通もあって、昭和48年に廃湯。

立山温泉跡は後回し、先に泥鰌池の見学に行くようです。

天涯の橋という吊り橋、けっこう揺れるし・・高所恐怖症です。

怖い高さから、湯川(常願寺川)を見下ろす。

頑張って、揺れる橋を渡って、5分くらいで泥鰌(なまず)池に到着。

泥鰌池も、飛越地震(鳶崩れ)によって出来た、堰止湖だそうです。
崖の中腹、横に走るスジが気になって・・人為的なものに見える。

砂防博物館に展示されていた地図、黄色い丸が泥鰌池です。
崖のスジは、トロッコ軌道の跡だったのでしょうか?
旧治山事業専用常願寺川線、69豪雨により寸断、実質廃線?

翅も尻尾も曲がってる、羽化不全の赤トンボ、がんばれ~

この池に小舟を浮かべて、温泉客が遊んだそうです。

帰り道、クマの噛み跡を撮っていたら、最後尾になっちゃいました。

不本意ながら殿(しんがり)を務めることに・・背後が怖いよ。

立山温泉の浴槽跡、そんなに大きくなくて、大人数は入れないなあ。

50年前の、昭和のタイルが残っていました。

温泉跡を撮らずにトンボを撮ってる変わり者です。

これは新しい休憩所かな、あの辺りに立山温泉の母屋があったそう。
ハチの巣があるので行くな!って、見学は出来ませんでした。

ここはカルデラの底ですね、山崩れや土石流が発生したら危険な所。
で、温泉街は消滅、砂防基地は移転したみたい。(つづく)
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