光正寺古墳
福岡市の隣町、糟屋郡宇美町に鎮座する、全長54メートルの前方後円墳。
魏志倭人伝に記述がある、不彌国(ふみこく)の首長の墓ではないか、と言われています。
周辺は静かな住宅地。住宅地の中の古墳公園です。
宇美町は、かつては炭鉱の町でしたが、今は福岡市のベットタウンですね。
自由に墳丘上に登れます。
すぐ近くにも古墳らしき小丘が見えますね。七夕池古墳という円墳だそうです。
前方部より後円部を望む。
前方部2段、後円部3段になってますね。
福岡空港RW34エンドから西へ2キロ、ひと山越えた所に位置します。
ひこーき見物、旧志免鉱業所竪坑櫓なんかとセットでどうぞ。
魏志倭人伝に記述がある、不彌国(ふみこく)の首長の墓ではないか、と言われています。

周辺は静かな住宅地。住宅地の中の古墳公園です。
宇美町は、かつては炭鉱の町でしたが、今は福岡市のベットタウンですね。

自由に墳丘上に登れます。

すぐ近くにも古墳らしき小丘が見えますね。七夕池古墳という円墳だそうです。

前方部より後円部を望む。
前方部2段、後円部3段になってますね。

福岡空港RW34エンドから西へ2キロ、ひと山越えた所に位置します。
ひこーき見物、旧志免鉱業所竪坑櫓なんかとセットでどうぞ。
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直方さんぽ(後編)
多賀神社への道中見かけた駐車場の看板。
きっとユニークなオーナーさんなのでしょうね。
どのタイミングで、どんな粗品が頂けるのでしょうか・・・とっても気になります。
駅から5分で多賀神社入口に到着。
参道は筑豊線をオーバーパスします。桃の花が満開です。
広~い境内、桜は満開を過ぎて、風が吹くとヒラヒラ舞います。
楼門脇の桃の木、1つの幹から白とピンクの花が咲いています。
境内には、他にもたくさんの桃の木が植えられています。
多賀神社の祭神はイザナギとイザナミ。
イザナギが黄泉の国から逃げるとき、
追いかけて来るイザナミを、追い払うために投げつけたのが、桃の実だったような・・
御神紋、2羽のスズメではなくて、セキレイだそうです。
イザナギとイザナミは、最初は上手くいかなかったけど、
セキレイが致しているのを見て勉強したら、上手くいったそうです。いや~ん。
裏参道を戻ります。平成筑豊鉄道のディーゼルが走って行きました。
隣接する直方市石炭記念館の屋外展示品。
火の使えない坑内では、こんな機関車を使っていたのですね。
遠賀川を渡って、もちだんご村にやって来ました。
今や全国的に有名な?もち吉の本社は直方にあります。
もち吉本社の住所は「字餅米もちだんご村」です。
本社前には、餅乃神社が鎮座しています。
祭神はアマテラス、豊受大神他、餅の神様は奉られていませんでした。
関東に住む親戚から、もち吉のお煎餅が送られて来たことがありました。
コレ、美味しいから是非食べてねって・・・
遠賀川の河川敷では、チューリップの花が満開でした。
本当に赤と白と黄色があるんですね。(おわり)
きっとユニークなオーナーさんなのでしょうね。
どのタイミングで、どんな粗品が頂けるのでしょうか・・・とっても気になります。

駅から5分で多賀神社入口に到着。

参道は筑豊線をオーバーパスします。桃の花が満開です。

広~い境内、桜は満開を過ぎて、風が吹くとヒラヒラ舞います。

楼門脇の桃の木、1つの幹から白とピンクの花が咲いています。
境内には、他にもたくさんの桃の木が植えられています。
多賀神社の祭神はイザナギとイザナミ。
イザナギが黄泉の国から逃げるとき、
追いかけて来るイザナミを、追い払うために投げつけたのが、桃の実だったような・・

御神紋、2羽のスズメではなくて、セキレイだそうです。
イザナギとイザナミは、最初は上手くいかなかったけど、
セキレイが致しているのを見て勉強したら、上手くいったそうです。いや~ん。

裏参道を戻ります。平成筑豊鉄道のディーゼルが走って行きました。

隣接する直方市石炭記念館の屋外展示品。
火の使えない坑内では、こんな機関車を使っていたのですね。

遠賀川を渡って、もちだんご村にやって来ました。
今や全国的に有名な?もち吉の本社は直方にあります。

もち吉本社の住所は「字餅米もちだんご村」です。
本社前には、餅乃神社が鎮座しています。
祭神はアマテラス、豊受大神他、餅の神様は奉られていませんでした。

関東に住む親戚から、もち吉のお煎餅が送られて来たことがありました。
コレ、美味しいから是非食べてねって・・・

遠賀川の河川敷では、チューリップの花が満開でした。
本当に赤と白と黄色があるんですね。(おわり)
直方さんぽ(前編)
六ヶ岳下山後、車で直方市街へ移動、直方駅前からスタート。
素敵だった旧駅舎は、残念ながら解体されてしまい、新しい駅舎になっていました。
駅に隣接する車両基地では、新旧の車両が仲良く並んで、お昼寝していました。
直方駅は新しくなりましたが、周囲には、まだまだ古い建物が残っています。
須崎公園の片隅に、林芙美子の文学碑がありました。
芙美子は12歳の頃この辺りに住んで、あんパンの行商をしていたそうです。
こっそりと「カチューシャ」を見に行った映画館も、このすぐ近くにあったそうです。
ふるまち通り商店街に入ってみます。
なんだか妙に活気があるなと思ったら、ちょうど五日市の日でした。
きっと普段はガラガラなんでしょうけど、この日は婆ちゃん達で賑わっていました。
四宮の成金饅頭、1個買ってみました。
うずら餡入りのどら焼きみたいなヤツ、素朴なお菓子ですな。
なんかいました。福岡県警の「ふっけい君」だそうです。
振り込め詐欺防止啓蒙活動でもやっているんでしょうか。
路上は蚤の市状態です。いろいろ売ってます。
花祭りをやっていました。
甘茶まみれのお釈迦さまは、ベタベタして気持ち悪くないのかな・・・
と、ひねくれ者のオトーサンは、幼稚園児の頃いつも思っていました。
大正6年築の旧福岡銀行南直方支店。
現在はアートスペースとして活用されているみたいです。
おもちゃ屋の店先には、なつかしいおもちゃが展示されていました。
魚雷戦ゲーム、お金持ちの子は、コレ持ってました。
商店街を出て、直方バスセンターに行ってみました。
後藤寺バスセンターほどのインパクトはありませんが、こちらも相当なモノです。
直方駅に戻って来ました。
駅うどんもきれになっていましたが、入口は駅の外。
当然改札を出なければ食えません。以前は改札内からも食えました。残念。
直方駅から歩いて多賀神社へ向かいます。(つづく)
素敵だった旧駅舎は、残念ながら解体されてしまい、新しい駅舎になっていました。

駅に隣接する車両基地では、新旧の車両が仲良く並んで、お昼寝していました。

直方駅は新しくなりましたが、周囲には、まだまだ古い建物が残っています。

須崎公園の片隅に、林芙美子の文学碑がありました。
芙美子は12歳の頃この辺りに住んで、あんパンの行商をしていたそうです。
こっそりと「カチューシャ」を見に行った映画館も、このすぐ近くにあったそうです。

ふるまち通り商店街に入ってみます。
なんだか妙に活気があるなと思ったら、ちょうど五日市の日でした。
きっと普段はガラガラなんでしょうけど、この日は婆ちゃん達で賑わっていました。

四宮の成金饅頭、1個買ってみました。
うずら餡入りのどら焼きみたいなヤツ、素朴なお菓子ですな。

なんかいました。福岡県警の「ふっけい君」だそうです。
振り込め詐欺防止啓蒙活動でもやっているんでしょうか。

路上は蚤の市状態です。いろいろ売ってます。

花祭りをやっていました。
甘茶まみれのお釈迦さまは、ベタベタして気持ち悪くないのかな・・・
と、ひねくれ者のオトーサンは、幼稚園児の頃いつも思っていました。

大正6年築の旧福岡銀行南直方支店。
現在はアートスペースとして活用されているみたいです。

おもちゃ屋の店先には、なつかしいおもちゃが展示されていました。
魚雷戦ゲーム、お金持ちの子は、コレ持ってました。

商店街を出て、直方バスセンターに行ってみました。
後藤寺バスセンターほどのインパクトはありませんが、こちらも相当なモノです。

直方駅に戻って来ました。
駅うどんもきれになっていましたが、入口は駅の外。
当然改札を出なければ食えません。以前は改札内からも食えました。残念。

直方駅から歩いて多賀神社へ向かいます。(つづく)
海峡さんぽ~その7 美味しいラーメンで打ち上げ
関門海峡に沿って、国道9号線を歩きます。
以前は狭い歩道で、横をビュンビュン車が通る歩き難いところでしたが、
最近、遊歩道「壇ノ浦コースト」が整備されて、広く安全になりました。
お稲荷さんがあります。立石稲荷神社。
平家が京都の伏見稲荷から連れて来たお稲荷さん。
お稲荷さんの前、海の中に注連縄の掛かった岩があります。
この烏帽子岩、立石稲荷神社の御神体だそうです。
関門橋の下を通って、みもすそ川公園までやって来ました。
壇ノ浦古戦場の碑と、八艘飛びの義経、碇を抱えた知盛の像があります。
100円で発射できる長州砲のレプリカもあります。
ここに来たら、是非発射してみることをお勧めします。
国道を渡ると関門トンネル人道入口です。
関門国道トンネルは上段が車道、下段が歩道の2段構造になっています。
エレベーターで地下に降りて、全長780メートルの海底歩道を歩きます。
オールシーズン全天候型ウォーキングコースとして、利用している人もいるようです。
なるほど、冬は暖かいし、夏は涼しい。雨も降らないし、風も吹かない。
出発地点、ノーフォーク広場に帰り着きました。
全部で5時間半、歩いていたのは3時間くらい。
雨に降られたのが残念だけど、良い周遊コースでした。
ラーメン屋で軽く打ち上げです。
醤油とんこつかな、麺はやや太め、美味しかった。(おわり)
金隈甕棺墓群
先ずお断り・・・人間のガイコツの写真をアップしてます。
苦手な方は、今回の記事はスルーして頂きたい。
福岡市博物館の展示にあった金隈(かねのくま)遺跡。
県道からの入り口がちょっと分かり難かったけど、地図アプリで無事到着。
昭和43年に発見された弥生時代の共同墓地。
発見された甕棺墓群の上を建屋で覆って、展示館として公開されています。
展示館に入ってみます。無料です。
茶色の地面に穴が開いていて、ボコボコ甕棺が転がってます。
きれいな形のヤツもあれば、割れて粉々になったヤツもある。
管理人のおじさんが、軽く説明してくれました。
甕棺に入れて埋葬したヤツと、そのまんま土葬のヤツがある。
発掘されたのは一部で、この辺り一帯が古代の墓所であった。
掘ればまだいくらでも出てくるだろうとのこと。
近くには板付遺跡という環濠集落跡などがある。
そこら辺で亡くなった人を埋葬する共同墓地だったのではないか。
と、おじさんは言ってました。
保存状態の良い甕棺からは人骨が出て来たそうで、
展示されているガイコツはレプリカではなく本物です。合掌。
大きな(大人用)甕棺より、小さな甕棺の方が多いです。
幼児の死亡率が高かったんでしょうね。ちょっと切なくなりました。
ここに埋葬されているのは普通の人、権力者とかではない一般人。
現代風に言えば郊外の公園墓地「金隈霊園」ですな。
1区画おいくらだったのかな。
苦手な方は、今回の記事はスルーして頂きたい。
福岡市博物館の展示にあった金隈(かねのくま)遺跡。
県道からの入り口がちょっと分かり難かったけど、地図アプリで無事到着。

昭和43年に発見された弥生時代の共同墓地。
発見された甕棺墓群の上を建屋で覆って、展示館として公開されています。

展示館に入ってみます。無料です。
茶色の地面に穴が開いていて、ボコボコ甕棺が転がってます。
きれいな形のヤツもあれば、割れて粉々になったヤツもある。

管理人のおじさんが、軽く説明してくれました。
甕棺に入れて埋葬したヤツと、そのまんま土葬のヤツがある。
発掘されたのは一部で、この辺り一帯が古代の墓所であった。
掘ればまだいくらでも出てくるだろうとのこと。

近くには板付遺跡という環濠集落跡などがある。
そこら辺で亡くなった人を埋葬する共同墓地だったのではないか。
と、おじさんは言ってました。

保存状態の良い甕棺からは人骨が出て来たそうで、
展示されているガイコツはレプリカではなく本物です。合掌。
大きな(大人用)甕棺より、小さな甕棺の方が多いです。
幼児の死亡率が高かったんでしょうね。ちょっと切なくなりました。

ここに埋葬されているのは普通の人、権力者とかではない一般人。
現代風に言えば郊外の公園墓地「金隈霊園」ですな。
1区画おいくらだったのかな。
海峡さんぽ~その6 赤間神宮
赤間神宮を参拝します。
赤間神宮は、壇ノ浦の戦いで亡くなった、安徳天皇を奉る神社です。
神社になったのは明治時代で、以前はお寺だったそうです。
水天門を潜る前に、隣接する阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)を見学します。
安徳天皇の陵墓です。お馴染みの注意書きがありますね。
陵墓の御門は固く閉ざされていて、内部を見ることはできません。
隙間から見えないことはないですが、失礼ですので止めておきます。
安徳帝の陵墓とされる場所は、他にも幾つかありますが、ここが宮内庁による治定地です。
鯛や鮃が舞い踊る、まるで竜宮城のような水天門を潜って境内へ。
「海の底にも都はあります」の逸話に因んで、こんな造りになっているんでしょうか。
コンクリート造りの拝殿で参拝後、平家一門の墓へ行ってみます。
十三重の塔がありました。海難で亡くなった方々のための供養塔のようです。
平家一門の墓。平知盛を始め平家の武将と、二位の尼の墓石があるそうです。
安徳帝の陵を背に、東を向いて墓石が並んでいます。源氏から陵を守っているみたい。
平家一門墓所の隣に、耳なし芳一の祠がありました。
恍惚とした表情で琵琶を奏でています。夜中にここには来たくないな。
境内東側にある大連神社へ行ってみましょう。
石段の参道脇にムラサキケマンが咲いていました。
かつて中国大連にあった神社。
戦後、神職が御神体を背負って持ち帰り、ここに奉ったそうです。
大連神社のソメイヨシノは一分咲きくらいでした。(つづく)
赤間神宮は、壇ノ浦の戦いで亡くなった、安徳天皇を奉る神社です。
神社になったのは明治時代で、以前はお寺だったそうです。

水天門を潜る前に、隣接する阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)を見学します。
安徳天皇の陵墓です。お馴染みの注意書きがありますね。

陵墓の御門は固く閉ざされていて、内部を見ることはできません。
隙間から見えないことはないですが、失礼ですので止めておきます。

安徳帝の陵墓とされる場所は、他にも幾つかありますが、ここが宮内庁による治定地です。

鯛や鮃が舞い踊る、まるで竜宮城のような水天門を潜って境内へ。
「海の底にも都はあります」の逸話に因んで、こんな造りになっているんでしょうか。
コンクリート造りの拝殿で参拝後、平家一門の墓へ行ってみます。

十三重の塔がありました。海難で亡くなった方々のための供養塔のようです。

平家一門の墓。平知盛を始め平家の武将と、二位の尼の墓石があるそうです。
安徳帝の陵を背に、東を向いて墓石が並んでいます。源氏から陵を守っているみたい。

平家一門墓所の隣に、耳なし芳一の祠がありました。
恍惚とした表情で琵琶を奏でています。夜中にここには来たくないな。

境内東側にある大連神社へ行ってみましょう。
石段の参道脇にムラサキケマンが咲いていました。

かつて中国大連にあった神社。
戦後、神職が御神体を背負って持ち帰り、ここに奉ったそうです。

大連神社のソメイヨシノは一分咲きくらいでした。(つづく)
海峡さんぽ~その5 カモンワーフで雨宿り
唐戸市場で100円寿司を食い損なってしまいました。
そんなに腹は減ってないけれど、お隣のカモンワーフに行くことにしました。
カモンワーフに行く途中、かなり本格的な雨が降り出しました。
屋根のある所へ着いた頃には土砂降り。天気予報は晴れなのに・・
カモンワーフとは、レストランやおみやげ屋が入ったシーサイド商業施設。
我々のように、唐戸市場で食い損なった人達が流れて来ているようです。
ちょうど昼時で、良さげなレストランの前には長蛇の列。春休みです。
結局、とこにも入店しなかった。持参したミネラルウォーターで喉を潤します。
カモンワーフで雨宿り。
カモン=関門と come on を掛けているのだな。などと考えながら雨宿り。
海峡を行き交う船を見ながら、雨が上がるのを待ちます。
30分くらいで雨は上がりました。
ウェザーリポートを確認。もう雨雲はやって来ないみたい・・・出発!
ザビエル上陸記念碑がありました。
ザビエルさんとは、あちらこちらでよくお会いしますなあ。
国道9号線を赤間神宮に向けて歩きます。
汚い水が溜まっている貯水池みたいなのがありました。
調べてみたら、大正3年に出来た乾ドックみたいです。
こんなのが残っているとは知りませんでした。
放置プレーはもったいない。立地も良いし、横浜みたいに活用したら良いのに。
オトーサンが入店することは、たぶん一生ないであろう春帆楼の前を通って、
赤間神宮の前に到着しました。(つづく)
そんなに腹は減ってないけれど、お隣のカモンワーフに行くことにしました。
カモンワーフに行く途中、かなり本格的な雨が降り出しました。
屋根のある所へ着いた頃には土砂降り。天気予報は晴れなのに・・

カモンワーフとは、レストランやおみやげ屋が入ったシーサイド商業施設。
我々のように、唐戸市場で食い損なった人達が流れて来ているようです。
ちょうど昼時で、良さげなレストランの前には長蛇の列。春休みです。
結局、とこにも入店しなかった。持参したミネラルウォーターで喉を潤します。

カモンワーフで雨宿り。
カモン=関門と come on を掛けているのだな。などと考えながら雨宿り。
海峡を行き交う船を見ながら、雨が上がるのを待ちます。

30分くらいで雨は上がりました。
ウェザーリポートを確認。もう雨雲はやって来ないみたい・・・出発!

ザビエル上陸記念碑がありました。
ザビエルさんとは、あちらこちらでよくお会いしますなあ。

国道9号線を赤間神宮に向けて歩きます。

汚い水が溜まっている貯水池みたいなのがありました。
調べてみたら、大正3年に出来た乾ドックみたいです。
こんなのが残っているとは知りませんでした。
放置プレーはもったいない。立地も良いし、横浜みたいに活用したら良いのに。

オトーサンが入店することは、たぶん一生ないであろう春帆楼の前を通って、
赤間神宮の前に到着しました。(つづく)
海峡さんぽ~その4 亀山八幡宮と唐戸市場
旧英国領事館から少し歩くと、亀山八幡宮の前に着きました。
亀山八幡宮の前にも、金子みすゞの歌碑がありました。
三好写真館跡。死の前日に最後の写真を撮ったのが、三好写真館だったそう。
旧秋田商会ビルで見たあのカメラは、ここにあったものなのですね。
巨大な鳥居を潜り石段を登ります。
宇佐から石清水へ勧請される途中、八幡様が立ち寄ったところ。とか。
広い境内には、亀とか河豚とか、いろいろいました。
空が暗くなって、やがてぽつぽつと雨が降り出した。天気予報は晴れなのに・・
Kちゃんは折り畳み傘を持っていたけど、オトーサンは丸腰です。
おっさん2人で相々傘する訳にもいかず、お守り売り場の軒下で雨宿り。
しばらくすると小降りになったので歩き始める。
「亀山砲台跡」の説明板がありました。
幕末、長州藩(の若手)がここに砲台を築き、海峡を通る外国船に砲撃した。
通告なしに丸腰の商船に向けて長州砲を発砲し、追い払ったぞ!と喜んだコドモ達。
後に米英蘭仏の連合艦隊に、こてんぱんにやり返されることになる。
トラトラトラ、真珠湾攻撃になんか似ていると思った。
亀山八幡を下りて唐戸市場へ向かいます。魚の卸売市場です。
◀イメージ画像
一般にも開放されていて、1貫100円ほどの寿司などが売られています。
Kちゃんは楽しみにしていたようですが、一般向け営業は週末だけでした。
リサーチ不足、Kちゃんには悪いことをしました。すまそ。(つづく)
昨夜はびっくりしました。熊本地震お見舞い申し上げます。
亀山八幡宮の前にも、金子みすゞの歌碑がありました。

三好写真館跡。死の前日に最後の写真を撮ったのが、三好写真館だったそう。
旧秋田商会ビルで見たあのカメラは、ここにあったものなのですね。

巨大な鳥居を潜り石段を登ります。
宇佐から石清水へ勧請される途中、八幡様が立ち寄ったところ。とか。
広い境内には、亀とか河豚とか、いろいろいました。

空が暗くなって、やがてぽつぽつと雨が降り出した。天気予報は晴れなのに・・
Kちゃんは折り畳み傘を持っていたけど、オトーサンは丸腰です。
おっさん2人で相々傘する訳にもいかず、お守り売り場の軒下で雨宿り。
しばらくすると小降りになったので歩き始める。

「亀山砲台跡」の説明板がありました。
幕末、長州藩(の若手)がここに砲台を築き、海峡を通る外国船に砲撃した。
通告なしに丸腰の商船に向けて長州砲を発砲し、追い払ったぞ!と喜んだコドモ達。

後に米英蘭仏の連合艦隊に、こてんぱんにやり返されることになる。
トラトラトラ、真珠湾攻撃になんか似ていると思った。

亀山八幡を下りて唐戸市場へ向かいます。魚の卸売市場です。

一般にも開放されていて、1貫100円ほどの寿司などが売られています。

Kちゃんは楽しみにしていたようですが、一般向け営業は週末だけでした。
リサーチ不足、Kちゃんには悪いことをしました。すまそ。(つづく)
昨夜はびっくりしました。熊本地震お見舞い申し上げます。
島根コケッコー紀行~その11 三隅神社を参拝して帰宅
江津から国道9号線を西へ。帰路に就く。
道の駅「ゆうひパーク三隅」で休憩。
海を見下ろす高台にあって、山陰線の線路越しに日本海が見える。
鉄道写真には良いロケーションだろう。(有名撮影地だった!)
東側に目をやると、海中に三角形の岩がある。
そよと広海が森高の合格発表を見に行く時、列車の窓から見えていた景色だった。
道の駅から10分、国道から離れ三隅の町へ入る。
海岸からほんの数キロだが、山地に囲まれた、川沿いの小さな町である。
日はだいぶ西に傾いているが、まだ明るい。
予定していなかった三隅神社に寄ってみることにした。
記憶を頼りに三隅神社を目指す。
多分左折するはずだが、左折すべき場所が分からない。
行ったり来たりウロウロしていると、三隅公園の看板があった。
三隅神社は三隅公園の隣だったはず・・・なんとか三隅神社に到着。
コケッコーの劇中、秋祭りのシーンがここで撮影された。
賑やかなお祭りなのに何故か物悲しい、遠くで聞こえる神楽のお囃子。
秋祭りのシーンも良く印象に残っている。
境内には見覚えのある土蔵、神楽殿があった。
三隅神社の創建は昭和12年。
祭神は三隅兼連(みすみかねつら)という地元豪族の棟梁、鎌倉時代末期の武士。
鎌倉時代のローカル武士が、なぜ昭和になってから神様として奉られたのか・・
調べてみたら面白かった。機会があればそのうち書きます。
益田、津和野を経由、山口から中国道で帰宅。2日間の総走行距離770キロ。
短い旅行だったけど、内容は濃く充実したものだった。
益々、島根県が好きになった。(おわり)

道の駅「ゆうひパーク三隅」で休憩。
海を見下ろす高台にあって、山陰線の線路越しに日本海が見える。
鉄道写真には良いロケーションだろう。(有名撮影地だった!)

東側に目をやると、海中に三角形の岩がある。
そよと広海が森高の合格発表を見に行く時、列車の窓から見えていた景色だった。
道の駅から10分、国道から離れ三隅の町へ入る。
海岸からほんの数キロだが、山地に囲まれた、川沿いの小さな町である。

日はだいぶ西に傾いているが、まだ明るい。
予定していなかった三隅神社に寄ってみることにした。
記憶を頼りに三隅神社を目指す。
多分左折するはずだが、左折すべき場所が分からない。

行ったり来たりウロウロしていると、三隅公園の看板があった。
三隅神社は三隅公園の隣だったはず・・・なんとか三隅神社に到着。
コケッコーの劇中、秋祭りのシーンがここで撮影された。
賑やかなお祭りなのに何故か物悲しい、遠くで聞こえる神楽のお囃子。

秋祭りのシーンも良く印象に残っている。
境内には見覚えのある土蔵、神楽殿があった。

三隅神社の創建は昭和12年。
祭神は三隅兼連(みすみかねつら)という地元豪族の棟梁、鎌倉時代末期の武士。
鎌倉時代のローカル武士が、なぜ昭和になってから神様として奉られたのか・・
調べてみたら面白かった。機会があればそのうち書きます。

益田、津和野を経由、山口から中国道で帰宅。2日間の総走行距離770キロ。
短い旅行だったけど、内容は濃く充実したものだった。
益々、島根県が好きになった。(おわり)
早朝平尾台(後)
コケッコーと海峡さんぽ、平尾台が同時進行していて、ごちゃごちゃですね。
自分でも分かんなくなります。しっかり着いて来て下さい(笑)
桶ヶ辻から林道を歩いて戻ります。
この林道は、たぶん青龍窟を経由して、苅田町等覚寺へ続いているはず。
林道は草原と林の境目をなぞっています。道端には小さな野草が咲いています。
ムラサキケマン好き。玉の露が砂糖菓子のようです。
野鳥のコーラスを聞きながら、青龍窟近くまで歩いて来ました。
林道から離れ、広谷湿原方面へ登り返します。
湿原の観察デッキ。夏になると、ツリフネソウやサギソウが見られます。
湿原はまだ茶色ですが、足元を丁寧に観察すると、色々な花が咲いています。
野鳥(・・・もう同定を完全放棄している)も春を謳歌しています。
中峠からキス岩を経由して、茶ヶ床園地へ帰ることにします。
石灰岩とは異なる黒い岩が所々に見えます。
黒い岩は花崗岩。石灰岩の中にマグマが貫入した跡だそうです。
平尾台の石灰岩は、マグマによる熱変成を受けているから、化石は見られない・・・
なるほど・・・溶けちゃったのね。
いろんな形の石灰岩。想像力を掻き立てられます。
スミレちゃんは至る所に咲いていました。
しずかちゃんもチラホラ咲いていました。
茶ヶ床園地で車を回収、朝メシを食って帰宅しました。(おわり)
自分でも分かんなくなります。しっかり着いて来て下さい(笑)
桶ヶ辻から林道を歩いて戻ります。
この林道は、たぶん青龍窟を経由して、苅田町等覚寺へ続いているはず。

林道は草原と林の境目をなぞっています。道端には小さな野草が咲いています。
ムラサキケマン好き。玉の露が砂糖菓子のようです。

野鳥のコーラスを聞きながら、青龍窟近くまで歩いて来ました。
林道から離れ、広谷湿原方面へ登り返します。

湿原の観察デッキ。夏になると、ツリフネソウやサギソウが見られます。

湿原はまだ茶色ですが、足元を丁寧に観察すると、色々な花が咲いています。

野鳥(・・・もう同定を完全放棄している)も春を謳歌しています。

中峠からキス岩を経由して、茶ヶ床園地へ帰ることにします。

石灰岩とは異なる黒い岩が所々に見えます。
黒い岩は花崗岩。石灰岩の中にマグマが貫入した跡だそうです。
平尾台の石灰岩は、マグマによる熱変成を受けているから、化石は見られない・・・
なるほど・・・溶けちゃったのね。

いろんな形の石灰岩。想像力を掻き立てられます。

スミレちゃんは至る所に咲いていました。

しずかちゃんもチラホラ咲いていました。

茶ヶ床園地で車を回収、朝メシを食って帰宅しました。(おわり)
早朝平尾台(前)
天気予報が晴れだったので、夜中に起き出して出発。
5時少し過ぎに平尾台茶ヶ床園地に到着しました。
山靴を履いて、LEDライトの点灯確認、準備完了!
家を出る時は星が見えていましたが、なんだか曇ってるような・・
NTT道路を歩いて中峠へ向かいます。明るく写してますが、実際はもっと暗いです。
中峠から周防台に続く尾根に取り付きます。風が冷たく寒い。
周防灘を見下ろす尾根上まで登ってきました。
そろそろ御来光出現時間ですが、御来光は拝めず。
南東方向へ目をやると、京都(みやこ)平野の向こうに八面山が見えます。
由布岳の先っちょも、雲の上にちょこっと見えました。
周防台(607メートル)に到着。止まると寒いので休憩なし。
田川盆地は雲海に覆われています。
尾根の低い所から、雲が溢れて流れ出てますね。
某所で発見したオキナちゃん。
前日の雨で傷んでいるように見えますが、健気に咲いています。
パラグライダーの発着場に到着。風景の良い所です。
なんだか芝生が以前より広くなったような・・・ちょっと心配です。
桶ヶ辻で折り返し、林道を歩いて中峠方面に戻りましょう。(つづく)
5時少し過ぎに平尾台茶ヶ床園地に到着しました。
山靴を履いて、LEDライトの点灯確認、準備完了!
家を出る時は星が見えていましたが、なんだか曇ってるような・・

NTT道路を歩いて中峠へ向かいます。明るく写してますが、実際はもっと暗いです。

中峠から周防台に続く尾根に取り付きます。風が冷たく寒い。

周防灘を見下ろす尾根上まで登ってきました。
そろそろ御来光出現時間ですが、御来光は拝めず。

南東方向へ目をやると、京都(みやこ)平野の向こうに八面山が見えます。
由布岳の先っちょも、雲の上にちょこっと見えました。

周防台(607メートル)に到着。止まると寒いので休憩なし。

田川盆地は雲海に覆われています。
尾根の低い所から、雲が溢れて流れ出てますね。

某所で発見したオキナちゃん。
前日の雨で傷んでいるように見えますが、健気に咲いています。

パラグライダーの発着場に到着。風景の良い所です。
なんだか芝生が以前より広くなったような・・・ちょっと心配です。

桶ヶ辻で折り返し、林道を歩いて中峠方面に戻りましょう。(つづく)
島根コケッコー紀行~その10 三江線川平駅
ホテルに帰ってシャワーの後、チェックアウト。
その後、物部神社、石見銀山などを観光したけど、その話は別の機会に。
大江高山を見ながら山間を西へ走り、江津市内に戻って来た。
江の川に架かる鉄橋を渡り、三江線川平駅へ。
劇中には登場しないが、宣伝ポスターがここで撮影されている。
江の川の左岸、小さな集落の中にある無人駅だ。
以前、列車でこの駅を通ったことがある。
その時はコケッコーはまだ見ていなかった。
駅前のロータリーに車を止め、木造の駅舎へ入る。
おばちゃんが1人、列車を待っていた。
10分ほどで江津行きの列車が来るはずだ。
対面式のホームだが、下りホームのレールは剥がされている。
14時41分発の、江津行きディーゼルが静かに入線。
おばちゃん1人を乗せて、列車は去って行った。

線路上に降りてコケッコーのアングルで写真を撮る。
駅を出ると、もうすぐ定年っぽい警官が、怪訝そうな目でこちらを見ていた。
やばい状況である。さっき線路内に「不法」侵入している。見られちゃったのか・・
健全な旅行者ですよ的雰囲気を、力いっぱい放出しながら車に乗り込む。
もうすぐ定年警官がゆっくりと近づいて来た。免許証の提示を求められる。
不法侵入で逮捕されることはなかろうが、厳重注意くらいは食らう可能性はある。
面白くないが大人しく質問にお答えする。5分くらいで解放してもらえた。
江の川沿いを下って国道9号線に出た。(つづく)
その後、物部神社、石見銀山などを観光したけど、その話は別の機会に。

大江高山を見ながら山間を西へ走り、江津市内に戻って来た。
江の川に架かる鉄橋を渡り、三江線川平駅へ。

劇中には登場しないが、宣伝ポスターがここで撮影されている。
江の川の左岸、小さな集落の中にある無人駅だ。

以前、列車でこの駅を通ったことがある。
その時はコケッコーはまだ見ていなかった。
駅前のロータリーに車を止め、木造の駅舎へ入る。

おばちゃんが1人、列車を待っていた。
10分ほどで江津行きの列車が来るはずだ。

対面式のホームだが、下りホームのレールは剥がされている。

14時41分発の、江津行きディーゼルが静かに入線。
おばちゃん1人を乗せて、列車は去って行った。

線路上に降りてコケッコーのアングルで写真を撮る。
駅を出ると、もうすぐ定年っぽい警官が、怪訝そうな目でこちらを見ていた。
やばい状況である。さっき線路内に「不法」侵入している。見られちゃったのか・・

健全な旅行者ですよ的雰囲気を、力いっぱい放出しながら車に乗り込む。
もうすぐ定年警官がゆっくりと近づいて来た。免許証の提示を求められる。
不法侵入で逮捕されることはなかろうが、厳重注意くらいは食らう可能性はある。
面白くないが大人しく質問にお答えする。5分くらいで解放してもらえた。

江の川沿いを下って国道9号線に出た。(つづく)
六ヶ岳登山
各地で桜が満開のようで、一気に春になっちゃいましたね。
当地では、すっきりしない天気が続いております。
春らしいと言えば、春らしい天気ですが・・・
天気予報はイマイチですが、ちょっと山登りに行ってきました。
今回は、福岡県宮若市~鞍手町にある六ヶ岳に登りました。
内野池登山口よりスタートします。
登山口に数台は停められますが、途中の道が離合不可能なほど狭い。
車でここまで登って来るのは、特に休日は、お勧めできません。
最初は竹藪の中を歩きます。やがて植林帯に入り緩やかに登ります。
各所に道標があり、間違い易い所にはトラロープが張ってあります。
最後にちょっと急登。内野池から30分で山頂に着いちゃいました。
標高339メートルの低山ですが、山頂からの展望は素晴らしい。
正しく360度の大展望を楽しめます。時計回りに展望します。
東には遠賀川を挟んで、皿倉、福智山系の山々。
南は英彦山、西には三郡山系、犬鳴山系の山々でしょうか。
北側は遥かに響灘、芦屋町の河口堰。
眼下には九州自動車道と新幹線も見えます。
足元には小さなスミレと、イチゴとバラ科の花が咲いていました。
これは秘密ですが、六ヶ岳は宗像三女神が最初に降臨した所です。
六ヶ岳の麓にある六嶽神社には、三女神は六ヶ岳から宗像に遷幸された、
という伝承があるそうです。
15分ほど展望を楽しんでから下山しました。
下山後は直方市を散歩しました。その話はまた後日。
当地では、すっきりしない天気が続いております。
春らしいと言えば、春らしい天気ですが・・・

天気予報はイマイチですが、ちょっと山登りに行ってきました。
今回は、福岡県宮若市~鞍手町にある六ヶ岳に登りました。

内野池登山口よりスタートします。

登山口に数台は停められますが、途中の道が離合不可能なほど狭い。
車でここまで登って来るのは、特に休日は、お勧めできません。

最初は竹藪の中を歩きます。やがて植林帯に入り緩やかに登ります。
各所に道標があり、間違い易い所にはトラロープが張ってあります。

最後にちょっと急登。内野池から30分で山頂に着いちゃいました。

標高339メートルの低山ですが、山頂からの展望は素晴らしい。
正しく360度の大展望を楽しめます。時計回りに展望します。

東には遠賀川を挟んで、皿倉、福智山系の山々。

南は英彦山、西には三郡山系、犬鳴山系の山々でしょうか。

北側は遥かに響灘、芦屋町の河口堰。
眼下には九州自動車道と新幹線も見えます。

足元には小さなスミレと、イチゴとバラ科の花が咲いていました。

これは秘密ですが、六ヶ岳は宗像三女神が最初に降臨した所です。

六ヶ岳の麓にある六嶽神社には、三女神は六ヶ岳から宗像に遷幸された、
という伝承があるそうです。

15分ほど展望を楽しんでから下山しました。
下山後は直方市を散歩しました。その話はまた後日。
海峡さんぽ~その3 下関のレトロなビル群
関門開港を連絡船で横断して、山口県に上陸しました。
唐戸桟橋の前にレトロな建物がありました。歩道橋を渡って行ってみます。
金子みすゞの文学碑がありました。
ここを基点に、近隣のみすゞ縁の地を巡ることができるみたいです。
旧秋田商会ビル、3階建ての鉄筋コンクリート、屋上には庭園があります。
大正4年生まれの、秋田商会事務所兼住居ビルだそうです。
1階はオープンカウンターの銀行のような造りでした。
下関市と近郊の観光パンフレットなどが置かれていました。
片隅に金子みすゞに関する展示コーナーがありました。
金子みすゞ最後の写真を撮ったカメラが展示されていました。
2階は住居スペース。外観からは想像もつかない和室でした。
不思議な感じです。霊感はありませんが、なんだかちょっと怖かった。
残念ながら屋上庭園は通常非公開。GWに一般公開があるみたいです。
屋上の寺社風な建物は茶室だそうです。屋上庭園に茶室・・優雅です。
旧秋田商会ビルの隣は下関南部町郵便局。現役の郵便局です。
県道を挟んで東側には、赤いレンガのきれいな建物が見えます。
明治39年生まれの旧英国領事館の建物です。
現在はレストランと、ピーターラビットの住居?になっています。
周辺マップと、チェーンに繋がれたタブレット端末が置かれていました。
マップに端末をかざすと、その場所にある建物が3Dで表示されました。
だからどうした!と突っ込みを入れたくなる展示品でした。(つづく)
唐戸桟橋の前にレトロな建物がありました。歩道橋を渡って行ってみます。

金子みすゞの文学碑がありました。
ここを基点に、近隣のみすゞ縁の地を巡ることができるみたいです。

旧秋田商会ビル、3階建ての鉄筋コンクリート、屋上には庭園があります。
大正4年生まれの、秋田商会事務所兼住居ビルだそうです。

1階はオープンカウンターの銀行のような造りでした。
下関市と近郊の観光パンフレットなどが置かれていました。

片隅に金子みすゞに関する展示コーナーがありました。
金子みすゞ最後の写真を撮ったカメラが展示されていました。

2階は住居スペース。外観からは想像もつかない和室でした。
不思議な感じです。霊感はありませんが、なんだかちょっと怖かった。

残念ながら屋上庭園は通常非公開。GWに一般公開があるみたいです。
屋上の寺社風な建物は茶室だそうです。屋上庭園に茶室・・優雅です。

旧秋田商会ビルの隣は下関南部町郵便局。現役の郵便局です。
県道を挟んで東側には、赤いレンガのきれいな建物が見えます。
明治39年生まれの旧英国領事館の建物です。

現在はレストランと、ピーターラビットの住居?になっています。

周辺マップと、チェーンに繋がれたタブレット端末が置かれていました。
マップに端末をかざすと、その場所にある建物が3Dで表示されました。

だからどうした!と突っ込みを入れたくなる展示品でした。(つづく)
海峡さんぽ~その2 関門海峡クルージング
旧門司三井倶楽部に入館。
大正10年に出来た、三井物産門司支店社交クラブの建物です。
ヨーロッパの伝統的な建築様式、ハーフティンバー様式と言うんだそうです。
ここも1階はレストランになっていました。なかなか良い雰囲気です。
ふぐ懐石には手が出ませんが、ランチならなんとかなりそうなお値段です。
2階はアインシュタインと林芙美子の展示室がありました。
100円を払って入館。ちょっと傾いた階段を登ります。
アインシュタインとは、あの「相対性理論」のアインシュタイン博士です。
大正11年に門司に来たとき、ここに宿泊して餅つきをしたそうです。

林芙美子資料館は残念ながら撮影禁止。
放浪記初版の展示とか、晩年の書斎が再現されたりしていました。
資料館の中には、おばちゃん達がいっぱいいました。
博多座でいっしょに放浪記を見たおばちゃん達、かも知れません。
三井倶楽部の隣、旧大阪商船ビルに入ってみます。
説明板を見てびっくりぽん。このビル?は、なんと木造でした。
旧大阪商船ビルの中には、わたせせいぞうギャラリーがありました。
わたせせいぞうさんは、高校生まで北九州市に住んでいたそうです。
こちらも著作権の関係で撮影禁止。ハートカクテル・・・懐かしいですね。
修理中の門司港駅はパスして、関門連絡船乗り場へ行きます。
連絡船で関門海峡を横断して、対岸の下関へ渡ります。
連絡船は20分毎に運航、下関まで5分で400円。ちょっと高い。
「がんりう」という、去年就航した新しい船に乗船。巌流島のことかな。
オープンデッキで海峡の景色を楽しみます。天気が残念。ちょっと揺れる。
本船が行き交う関門航路を横断して、下関唐戸桟橋に着岸。
5分で良かった。15分なら酔っていたかも。(つづく)
大正10年に出来た、三井物産門司支店社交クラブの建物です。
ヨーロッパの伝統的な建築様式、ハーフティンバー様式と言うんだそうです。

ここも1階はレストランになっていました。なかなか良い雰囲気です。
ふぐ懐石には手が出ませんが、ランチならなんとかなりそうなお値段です。
2階はアインシュタインと林芙美子の展示室がありました。
100円を払って入館。ちょっと傾いた階段を登ります。

アインシュタインとは、あの「相対性理論」のアインシュタイン博士です。
大正11年に門司に来たとき、ここに宿泊して餅つきをしたそうです。

林芙美子資料館は残念ながら撮影禁止。
放浪記初版の展示とか、晩年の書斎が再現されたりしていました。
資料館の中には、おばちゃん達がいっぱいいました。
博多座でいっしょに放浪記を見たおばちゃん達、かも知れません。

三井倶楽部の隣、旧大阪商船ビルに入ってみます。
説明板を見てびっくりぽん。このビル?は、なんと木造でした。

旧大阪商船ビルの中には、わたせせいぞうギャラリーがありました。
わたせせいぞうさんは、高校生まで北九州市に住んでいたそうです。
こちらも著作権の関係で撮影禁止。ハートカクテル・・・懐かしいですね。

修理中の門司港駅はパスして、関門連絡船乗り場へ行きます。

連絡船で関門海峡を横断して、対岸の下関へ渡ります。

連絡船は20分毎に運航、下関まで5分で400円。ちょっと高い。

「がんりう」という、去年就航した新しい船に乗船。巌流島のことかな。
オープンデッキで海峡の景色を楽しみます。天気が残念。ちょっと揺れる。

本船が行き交う関門航路を横断して、下関唐戸桟橋に着岸。
5分で良かった。15分なら酔っていたかも。(つづく)