18きっぷで行く山陰の旅~その10 田辺城とか
SLはC11型という、かつて福知山機関区に所属していた機関車だ。
ターンテーブルの上に載った状態で展示されている。

遠目にはきれいに見えたが、近づくと結構汚れている。
ヘッドライトが薄い緑色。ウランガラスかな。
大型スポーツ用品店に入店。少し涼んでから駅に戻った。

ホームに上がって電車を待つ。

JRホームの隣に京都丹後鉄道のホームがある。
丹鉄の赤いディーゼルが停まっている。ちょっとスイスっぽいデザインだ。

これに乗って天橋立なんかに行ってみたいけど、今回はパス。

水分補給。16時35分発の東舞鶴行きに乗車。
福知山駅を出ると、左手に福知山城が見えた。

由良川に沿って東へ進む。車窓から、何やら気になるものが見えた。
最大ズームで撮影。拡大して見ると、ずらっと並んだ円筒埴輪が確認できた。

私市円山(さきいちまるやま)古墳。直径70メートルの円墳。
自動車道建設の際に発見され、古墳公園として整備されたらしい。
綾部駅から山陰線と別れ、舞鶴線に入る。舞鶴線に入ると単線になった。

17時17分、西舞鶴駅に到着。
タンゴエクスプローラー号が留置されているのが見えた。

西舞鶴駅はJRと丹鉄の共同駅。丹鉄の車庫が隣接している。
いろんな色の車両が停まっている。どれがオリジナルなんだか分からない。

「黒松」と描かれた車両は、あの人のデザインではなかろうか。ちょっと食傷気味。

舞鶴の町は大きく西と東に分かれている。西舞鶴は城下町。
駅から歩いて田辺城(舞鶴城)へ行ってみる。西舞鶴駅前から国道を北へ歩く。

駅前は寂れていたが、国道の交通量は多い。10分とかからず田辺城跡に着いた。
元は一色氏の城であったが、天正6年に細川氏(細川藤考:忠興の父)の居城となる。
忠興さんが小倉に来る前、住んでいた城だ。

警察署の前に立派な城門があるが、見るからに新しい。近年復元されたもののようだ。
櫓に似せた資料館があるだけで、城内にはわずかな石垣以外何もない。
堀も全て埋められてしまったそうだ。

中は公園。子供たちが自転車に乗って遊んでいた。
ちょっと物足りないお城だった。(つづく)
18きっぷで行く山陰の旅~その9 広峯古墳記念公園
円山川の対岸に玄武洞の岩壁が見えた。

城崎温泉駅から10分で豊岡駅着。
除雪機関車が置いてある。こんな機関車は九州では見られない。

13時19分発、福知山行き普通電車に乗り換え。久しぶりの電車だ。

天気も少しずつ回復してきて、車窓の緑がきれい。
山陰線は円山川に沿って進む。

八鹿(ようか)駅に停車。やつしかと読むのかと思っていた。
養父駅に停車。こちらは「やぶ」と読む。

和田山駅に停車。時刻表では4分停車だが、ダイヤが乱れているようだ。

ホームに降りて運転手さんに尋ねる。暫く動かないようだった。
ホームの上からレンガ機関庫を見学。屋根が抜けている。

反対側のホームには、間抜けな顔のディーゼルが停まっていた。
播但線のディーゼルだ。これに乗ると、天空の城、竹田城へ行けるはずだ。

案内放送があって、約20分遅れで和田山駅を発車。県境を越えて京都府に入る。
15時ちょうど、福知山駅に到着。遅れはちょっとだけ回復した。
福知山で2時間近く時間を取っていた。列車の遅れは今後の行程に影響しない。

福知山城を見学しようと思っていたが、この暑さに萎えてしまった。
福知山城まで歩くと、20分くらいかかりそうだった。
観光案内板を見る。駅の南側に広峯古墳というのがあった。
福知山駅から10分くらいで行けそうだ。広峯古墳に行ってみることにした。

南口に出る。駅前広場にSLが展示されていた。
広場を突っ切って駅前通りを南へ。
国道9号線を渡って少し登ると、職安の隣に小さな公園があった。

小さな公園だけど、広峯古墳記念公園という、立派な名前が付いていた。
小学生の男の子たちが、水風船を投げ合って遊んでいた。
オトーサンを見つけると、挨拶をして、水が掛からないよう気遣ってくれた。

公園の中には小さな前方後円墳がある。
説明版によると、実物の3/4スケールのレプリカだった。ただの築山だ。

広峯古墳記念公園の付近は丘陵の上の新しい町。
この町を造成する際に、オリジナルの古墳は壊されちゃったのだろう。
子供たちにサヨナラを云って、福知山駅まで戻った(つづく)
正月準備
さあ、お正月です。
そろそろお屠蘇の準備をしときましょう。
近所の蔵に買い出しに行きました。お手頃な純米酒をゲット。

家に持ち帰って並べてみました。なかなか良い感じ。
お屠蘇にしてはやや量が多いような気がしますが、まあ、お正月ですから。

お正月が来る前に、なんだかんだで開けてしまうのは目に見えてます。
果たして、このうち何本が未開封のまま年を越せるんでしょうか。
18きっぷで行く山陰の旅~その8 城崎にて、カニ・エビ定食を食う
くらいのイメージしかない。城崎の街を少し歩いてみよう。

その前に昼メシ。朝はトースト1枚しか食ってない。腹が減っていた。

駅前の、喫茶店っぽい店のショーウィンドーに目が留まった。
カニ・エビ定食、千五百円也。なんだかガッツリ食いたくなった。

入店。カニ・エビ定食を発注。店内は民芸風喫茶店的作り。

やがて運ばれて来たカニ・エビ定食。
カニ爪フライ2個、カニ足フライ2本、エビフライ2本。豪勢だ。

食う。最初は良かったけど、後半は胸やけた。味噌汁が旨かった。
腹いっぱいになって店を出た。店を出ると一気に汗が噴き出した。
城崎は蒸し暑い。腹いっぱいなので余計に暑い。

何処に行けばよいのか分からない。とりあえず大谿川(おおたにがわ)に向けて歩く。
西洋人の観光客が目立つ。アジア人の観光客も無論大勢いる。

大谿川の両岸には柳の木が植えてある。
なるほど良い風情だけど、ちょっとドブ臭い。

大谿川の上流に向けて歩く。木造っぽい造りの旅館。
四所神社の隣には、「御所の湯」という公衆浴場があった。

それにしても暑い。たまらない。そろそろ城崎温泉駅に戻ろう。

途中、小さなお菓子屋があって、あの「大かにもなか」が売られていた。

大かにもなかは要らないので、普通サイズのかにもなかを購入。
普通のもなか、カニは入っていなかった。

汗だくになって城崎温泉駅に帰って来た。
駅前に足湯があって、浜坂温泉郷とは違って、涸れてなかった。
観光客多数入浴?中。こんなに暑いのに、みんなよく入浴するなあ。
トイレでシャツを着替え、自販機でドリンクを購入。
ホーム上の待合室に入った。待合室はクーラーが効いて涼しい。良かった。

城崎は夏に来る所ではないな。夏はカニの季節でもないし。
13時6分、城崎温泉駅発、豊岡行き快速に乗車。(つづく)
18きっぷで行く山陰の旅~その7 餘部鉄橋を渡って城崎へ
各ボックスに1組ずつくらいの乗車率。

鳥取駅を出るとすぐに高架は終わり、地上に降りて来た。
山陰線は海岸線を走る。
小さな浜と集落が交互に現れる。

東浜という小さな駅で、ビニルバックを抱えた2人組の女子が降りて行った。
こんな天気なのに、海水浴に行くのかな。

県境を越えて兵庫県に入った。
浜坂駅に到着、約10分停車するようだ。
荷物を車内に放って改札を出てみる。

「歓迎浜坂温泉郷」と看板が出ている・・・温泉地のようだ。
駅前広場に足湯があったが、涸れていた。

角の食料品店を覗いて見る。
とち餅というのが売っていたので、珍しくて1つ買ってしまった。

時間が来たので車内に戻る。
隣のボックスの老夫婦(多分18きっパー)は、じっと車内で待っていたようだ。
そう言えば、停車時間の車内放送はなかったような気がする。
ちゃんと案内してあげればいいのに。

浜坂駅を出ると、山陰線は一旦海岸を離れ、山の中を行く。

餘部駅に停車。
旧餘部鉄橋の一部が遊歩道になっていた。
車でやって来たと思われる見物人多数。
新餘部鉄橋をゆっくりと渡る。

こんな天気だけど、眼下の日本海はきれいなブルー。
防風アクリル板?がじゃまだなあ。

カニで有名な香住駅に停車。
モルタル研ぎ出しの改札口が残っていた。
そんなに古そうには見えないが、いつ頃のものだろう。

車窓から見える民家の屋根に、雪留めが目立つようになってきた。
冬は雪が積もるのかな。
冬に来てみたいと思った。

日本海から離れて、11時29分、城崎温泉駅に到着。(つづく)
五郎山古墳
鹿児島線と国道3号線に挟まれた、住宅地の中にある小高い丘の上に鎮座。

6世紀後半に造られた、直径35メートルの円墳、装飾古墳です。
鉄の扉にがっちり鍵がかかっていて、石室内部は見えません。

麓にある五郎山古墳館で、レプリカを見学することができます。

案内のお姉さんに懐中電灯を渡され、四つん這いでレプリカ石室内への突入を命じられます。
中は真っ暗で、閉所恐怖症ぎみなオトーサンは、レプリカと分かっていてもちょっと怖い。

懐中電灯で壁面を照らすと、赤と黒の顔料で描かれた壁画が見える。
レプリカの岩なので、壁画の質感も、ちょっとプラっぽいけど。

石室から這い出ると、お姉さんがおもむろにSWを操作。
すると、レプリカ石室がウィ~ンと動いて、歩いて入れる通路が出来た。
サンダーバードの秘密基地みたい、なかなか楽しいギミックです。

五郎山古墳館は無料。近くには、おいしいチャンポン屋さんもあります。
本数の少ない筑豊線(原田線)の列車待ち、時間潰しにちょうど良い。
少し歩くと、九州歴史資料館もあります。
時間のある方は五郎山古墳とセットでどうぞ。
18きっぷで行く山陰の旅~その6 鳥取城とすなば珈琲
朝の渋滞にハマって、鳥取駅行きバスは遅れ気味。西町バス停で降車。
裁判所の横を通って、鳥取城のお堀に突き当たった。
ランニング中の中学生に混じって入城。
鳥取城と言えば、「鳥取の飢え(かつえ)殺し」である。
吉川経家(つねいえ)が城主の時、信長の家臣、秀吉によって行われた兵糧攻め。
事前に米の相場を吊り上げ、篭城する人頭を増やした上で、長期の兵糧攻めを行った。
毛利の援軍は来ない。
兵糧の尽きた城内では、人肉を食らう者まで現れた。正に地獄絵図。
見かねた経家が、自らの首を差し出し、部下の助命を申し出、開城。
鳥取城は夜になると、今でもいろいろと出てくるそうだ。お勉強終わり。
復元された城門を通って天球丸を目指す。二の丸の石垣の下を通る。
雨は降っていないが、どんよりとした灰色の空。
飢え殺しのお勉強をした後なので、あまり良い気持ちはしない。
鳥取西高校の脇を通って天球丸へ行く。
天球丸には不思議な石垣があるそうだ。
おっちら登って天球丸に到着。
通常な石垣に寄生するように、球状の石垣がくっついている。
石垣は真球ではなく歪な球形だ。
天球丸とは、かつて天球院という館?があった所。
天球丸の石垣が崩れそうになったので、球状の巻石垣で補強したそうだ。
球形の石垣には、特に深い意味はなかった。
100円バスに乗って鳥取駅前に戻る。雨は上がった。
鳥取駅9時29分発の列車に乗車予定。30分ほど時間がある。
朝メシにする。鳥取駅前の喫茶店、すなば珈琲に入店。
「スタバはないけど、すなば(砂丘)はある」でお馴染みの、あの喫茶店だ。
すなば珈琲はなかなか繁盛していた。
なんとか席に着いてモーニングセットを発注。
サラダとトーストはすぐに来たが、コーヒーがなかなか来ない。
時間がないので少々焦る。やがてコーヒーがやって来た。急いで食う。
味は普通。ワンコインなので文句はない。スタバだったら倍近いだろう。
城崎温泉行きの、2両編成オレンジ色のディーゼルに乗車。
鳥取を離れる。鳥取砂丘は天気の良い日に再訪したい。(つづく)
昭和61年7月29日
盛岡から国道282号線で八幡平を抜けて、鹿角で国道103号線に乗り換え。
その日は十和田湖畔のキャンプ場に泊まるつもりで、発荷峠に向けてバイクを走らせていた。
晩メシのおかずを調達しようと、国道沿いにあった、掘っ立て小屋のような雑貨店へ入った。
木造の、店の入り口の引き戸が、昔の小学校の教室の戸のような店だった。
品揃えはお粗末で、缶詰と袋ラーメンとか、数種類の菓子類しか置いてなかったと思う。
米は持っていたので、レトルトのカレーを1つだけ買った。
店番をしていたのは、今思えば20代後半くらいの奥さんだった。
ちょっとふっくらとした、かわいらしい、美人な奥さんだったはずだ。
店の奥の畳の上に、小さな赤ちゃんが転がっていたと思う。
その奥さんが、オトーサンを見て、「まあ~、おでんを煮たから持って行きなさい」と、
玉子やらこんにゃくやら、数品をビニル袋に入れ、輪ゴムで縛って持たせてくれた。
十和田湖畔に着いて野営、コッフェルで米を炊き、カレーとおでんを食った。
おでんは冷たかったけど、とても美味しかった。なんだか涙が出た。
ふと思い出して、グーグルマップで探してみたりするけど、もう30年も前のこと。
店の名前も憶えていないし、場所も定かではない。分からない。
その店は、たぶんもうなくなっているのだろう。
あの奥さん、もう還暦近いと思われるけど、元気でいらっしゃるのかな。
出来ることなら再会して、おでんのお礼を言いたいのだけれど。
18きっぷで行く山陰の旅~その5 梨ジュースと鳥取砂丘
鳥取駅は、高架のわりと近代的な駅だった。
鳥取県には失礼だが、もっと田舎の駅だと思っていた。
米子で蕎麦を食ったので、そんなに腹は減っていない。
構内で地酒のワンカップとイカ天を購入。
鳥取駅のコンコースにもコナン君がいた。
ホテルまで歩く。雨は完全に上がっている。明日は晴れてくれるのかな。
ホテルは因美線の高架横、鳥取駅からは案外遠かった。
チェックイン。値段の割りにボロっちい部屋だった。
ワンカップを飲みながら天気予報を確認。どうもすっきりしない天気みたい。
荷物になるので、ここで傘は置いて行こうと思っていたけど、ダメそう。寝る。
翌朝、5時半に目が覚めた。まあまあ眠れた方だ。
6時過ぎにチェックアウト。フロントのおじちゃんが、人懐っこく話し掛けてきた。
少々世間話をしてからホテルを出た。
鳥取駅まで歩く。
鳥取駅で梨ジュースを飲んだ。予想通り、イマイチだった。
バスターミナルから蕪島(かぶらじま)行き路線バスに乗る。
鳥取砂丘に行く。砂丘東口というバス停で降車。
砂丘最寄のバス停ではないが、この時間、最寄のバス停に行くバスはなかった。
砂丘まで歩く。傘が要らないくらいの雨が降っている。カメラがあるので傘を差す。
鳥取砂丘に突入。
雨で砂が締まっているから歩きやすい。湿気はあるが、そんなに暑くない。
晴れていたら、もう相当な暑さだろう。雨で良かった。
天気は悪いし、早朝だし、誰もいない。広い砂丘を独り占め。
遠くに見覚えのある丘がある。
比較対象がないので距離感がイマイチだが、相当な距離がありそう。
あそこまで行ってみたいのだけれど、この後、鳥取城も見学したい。
バスと列車の時間を考えると、両方はムリだ。二者択一だ。
雨が降っているので、砂丘は次期繰り越しとした。
ラクダ乗り場があった。砂丘>砂漠>ラクダって、安易な発想だな。
と思いながら、頭の中で「月の砂漠」が鳴っているのだから仕方がない。
ラクダの写真を撮るだけでも有料らしい。今度来たら盗撮してやろう。
ふと時計を見ると、バスの時間が迫っている。油断していた。
小走りで砂丘東口バス停まで戻る。身体が重い。ダメだ。間に合わん。
へろへろになってバス停にたどり着いた。発車時刻はもう過ぎている。
やや遅れて、鳥取駅行きのバスがやって来た。乗れた。良かった。(つづく)
在自山の展望台

福岡県福津市、宮地嶽神社からスタートです。

先ず、宮地嶽神社に参拝。宮地嶽神社の大注連縄は日本一だそうです。
ちなみに、島根県出雲大社の注連縄も日本一です。どっちも日本一です。

奥の宮、不動神社の裏手から登山開始!

ここもモミジはダメ。ドングリの黄葉はきれいでした。

20分くらいで宮地山(181メートル)の山頂に到着。

山頂には小さな鳥居と、宮地嶽神社の古宮跡の看板がありました。

一旦、鞍部に下って、竹林の中の道を登ると、開けた場所に出ました。
福岡市方面の展望。宮地山の向こうに立花山が見えます。

ズームすると、福岡タワー、シーホークホテル、ヤフオクドームなんかが見えます。

宮地山から正味15分くらいで、在自山(あらじやま・249メートル)の山頂。
樹木に覆われて展望はありません。

山頂からほんの少し下ると、今度は金刀比羅神社の古宮がありました。

金刀比羅神社古宮から、急な階段を下って「展望台」に出ました。
正しく展望台。素晴らしい眺め。気持ちいい。

津屋崎の町並みと、沖に見えるのは相島(あいのしま)。

津屋崎干潟と、大峰山の日本海海戦記念碑が見えます。

絶景を眺めながら10分間休憩。

展望台から急坂を滑り降りて、金刀比羅神社横の住宅街に飛び出しました。

見上げると、展望台の2本の鳥居が見えますね。

古い住宅街を20分、てくてく歩いて宮地嶽神社まで戻りました。
お腹がグーグー鳴るので、津屋崎で刺身定食を食って帰りました。(おしまい)
18きっぷで行く山陰の旅~その4 御来屋駅と東郷池
米子駅から3つ目、大山口(だいせんぐち)駅に停車。
この辺り、車窓から中国地方最高峰、大山が望める区間だ。
楽しみにしていたのだが、こんな天気なので当然見えない。
車内は学校帰り(夏休みだから部活帰りかな)の高校生が多い。
17時17分、御来屋(みくりや)という駅に停車。
御来屋駅で10分余り停車するので、列車を降りてみる。
置いて行かれないように、運転手さんに発車時刻を確認した。
ホーム上には車掌車の待合室があった。
御来屋駅は山陰線で最も古い木造駅舎。明治35年築の建物だそう。
嘉例川駅より古い駅舎だ。きれいに手が入れてあって煤けた感じはない。
対向列車が到着した。急いで列車に戻る。
中山口、赤碕、浦安・・・小さな駅に停車していく。
各々の駅で列車を降りて町を歩いてみたい。
そんなことしていたら、京都まで何日かかるのだろう。
倉吉駅に停車。やや大きな駅。倉吉も良い所らしい。
オトーサンは、高校野球の倉吉北高校しか思い浮かばない。
18時16分、松崎駅に到着。ここで列車を降りる。
松崎駅は東郷池の畔にある。
東郷池は、池と言うよりは大きな湖で、海水が入ってくる汽水湖。
東郷池の周囲に何ヶ所か温泉が湧く。松崎駅の周辺が東郷温泉。
東郷平八郎とは特に関係なし。
ここで降りてみようと思ったのは、東郷池の夕焼けを見たかったから。
雨は上がったけど、空は分厚い雲で覆われている。夕焼けなんか見えない。
松崎駅を背に歩く。駅前は閑散としている。
数件のみやげ物屋があるが、営業しているとは思えない感じ。
県道を渡って東郷池畔へ。池の水はあまりきれいではない。ちょっとドブ臭い。
池畔にある大型温泉旅館。
大きな窓ガラス越しに、宿泊客が夕飯を食っているのが見えた。
池畔から離れて松崎の町中を歩いてみる。
古い木造の民家が並んでいる。伊藤さん家が多い。
畳屋と下駄屋があった。温泉旅館に卸しているのかな。
昭和40年代で、時間がストップしてしまったような町並み。
Aコープの跡地があった。JAのキャッシュコーナーだけが稼動していた。
松崎駅に戻って来た。町の規模にしては大き目の駅だ。
昔は賑わっていたたのだろう。今は無人駅。蛍光灯が灯った広い待合室が寂しい。
18時57分発のとっとりライナーに乗車。
今日最後の列車はコナン号だった。
19時33分、鳥取駅に到着。(つづく)
TOTOミュージアム
衛生陶器のTOTO本社に隣接するショールーム&ミュージアムでした。

入館無料。ちょうどトイレにも行きたかったし、せっかくなので、見学させて頂きます。

白くて丸い建物は、なんとなく便器に似ているような。

柱のないドーム構造。中も真っ白です。
そう言えば、一時期流行った色付き便器、最近はあまり見なくなりましたね。

製造技術に関する展示物は撮影禁止です。

TOTOはノリタケから分かれた会社で、かつては食器も作っていたそうです。

このバイクが面白かった。ウ〇コからできたメタンガスで走るバイク。

シートは便器。ライダー自ら走行中に燃料を補給します。(ウソ)

後部に設置された2本のボンベ。満タンで300キロ走るそうです。
6本出しマフラー?このバイクの後ろを走るのは、ちょっと抵抗があるな。

ガラス窓の所々に、透明な水玉があしらってあります。これってもしかして「雫」でしょうか。

中庭も白玉が敷き詰められて真っ白です。ミコノス島みたいです。

縄暖簾で仕切られた創業者コーナー。

トイレの歴史コーナーには懐かしい「便所」があった。
婆ちゃん家の便所が、そっくりこんな造りだった。ポンプ式の殺虫剤もあったな。

体験コーナーでは、各種便器が体験できますが、ズボンとパンツは下ろさない方が無難です。
洋式便器初体験時のことを思い出しました。どうやって使うのだろうと、本気で悩みました。
どうやって使ったかは、ご想像にお任せします。・・・かなりアクロバティックでした。

撮影禁止だったので写真はありませんが、「おしりだって洗って欲しい」の戸川純ちゃんもいました。
センセーショナルなCMでしたね。塗ってたんだ!って気付かせてくれました。スミマセン。

ミュージアムショップでは、トイレットペーパーや便器のペーパークラフトを売ってました。
便器型マグカップとか、TOTO饅頭とか、TOTOTシャツはなかった。
この後、本物の最新式トイレで用件を済ませて帰宅。男子トイレの大の個室は全て満室でした。
これだけ便器を見せられると、やはり催してしまウンでしょうか。ありがとうございました。
18きっぷで行く山陰の旅~その3 吾左衛門鮓・絶品鯖寿司
益田駅を出てから1時間と少し。アクアライナーは江津駅に停車。
江津駅は江津~三次を結ぶ三江線との分岐駅。
三江線は5年前の冬に制覇している。
その時の写真はPCトラブルで全て消滅した。そのうちまた冬にリベンジする。
益田駅を出て2時間。出雲市駅に停車。出雲大社への最寄り駅。
岡山駅から来た特急やくもが停車していた。
斐伊川を渡り、宍道湖畔に差し掛かる頃、本格的に雨が降り出した。
宍道湖の景色も楽しみにしていたのに残念だ。
松江駅に停車。6年前に松江に来た時も、こんな雨模様の天気だった。
島根県最後の駅、安来駅に停車。駅舎は今風な新しい木造。
停車時間が10分ほどあったので、改札を出てみる。
あの安来節の発祥地。駅前の片隅に安っぽい安来節像があった。
岡山行きの特急やくも号を見送ってから出発。
なんでここで10分も止まって、やくもを先行させるのだろう。
米子は隣駅。10分あれば米子駅まで逃げられるだろうに。
県境を越えて、終着米子駅に到着。16時31分。
もう10時間近く列車に乗っている。
この辺りで1泊するのが正しい大人の選択。と思われるが、今日はもう少し頑張る。
次の列車まで少し時間があった。中途半端な時間だけど、ここで駅蕎麦を食う。
吾左衛門鮓(ござえもんずし)という鯖寿司の店が、米子駅構内でイートインをやっている。
吾左衛門鮓に入店。店の奥に小さなイートインスペースがあった。
たぬき蕎麦と鯖寿司のセットを発注。蕎麦はまあ普通。鯖寿司は断然旨かった。
肉厚の鯖が柔らかい昆布で包まれて、酢メシが甘くない。
さっぱりとしていて、いくらでも食えそうだ。
鯖寿司は1本買うとすると、まあまあいいお値段ですが、冬場だったら買ってたかも。
米子駅前の銀河鉄道999を見学。酷いなあ。
16時53分発の鳥取行き普通列車に乗車。(つづく)
広寿山福聚寺
途中、福聚寺(ふくじゅじ)というお寺さんに寄り道した。

広寿山福聚寺、小笠原家の菩提寺、黄檗宗のお寺。
以前から一度、訪れてみたいと思っていたお寺さんだ。

細川忠興(ガラシャの夫)の後、小倉城に入った小笠原忠真(ただざね)が開基。

足立山系を借景にした素敵なお庭です。京都に来たみたい。

小笠原家の位牌を納めている祠堂(しどう)。

中には入れないので、屏の上から覗き見。砂紋の庭が素敵。
真ん中の石は、何らかの意味があるんでしょうね。

中華風な本堂。黄檗宗のお寺の特徴だそう。
ご本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、お釈迦様です。

本堂の軒下にぶら下がっている巨大な魚。開梆(かいばん)というそうです。
木槌で叩いて食事の時間なんかを知らせるヤツ。これが木魚のルーツらしい。

境内の至る所に小笠原家の家紋、三階菱があります。

小倉炭鉱殉職者慰霊塔。
昔、小倉の町中に炭鉱があったんです。昭和40年に閉山。

お父さんが紅葉を石の上に乗っけて、ヤラセ写真を撮ってました(笑)。

素敵なお寺さんでした。お庭の枝垂れ桜が咲く頃、また訪ねてみましょうか。(おしまい)
小文字山
北九州市小倉北区、小文字山に行ってきました。

森林公園の駐車場からスタート。ここの紅葉もイマイチですね。
しばらくは車道を歩き、メモリアルクロスの前に到着。

メモリアルクロスとは、朝鮮戦争で亡くなった連合国軍兵士の慰霊碑だそうです。

メモリアルクロスの前から、丸太階段の登山道に入ります。
小文字山頂までたったの600メートル・・・楽勝と思っていましたが、

いきなりの急登。運動不足、不摂生の身体には堪えました。

常緑樹が多くて森の中は暗い。九州の低山は、だいたいこんな感じです。

いきなり草原に飛び出します。小文字山(366メートル)山頂です。

振り返ると、素晴らしい展望。小倉の街が見渡せます。

かしわうどんでお馴染み、小倉駅方面の展望。松山行きのフェリーが見えます。

最大ズームすると、鹿児島行きの新幹線が見えました。

こちらは足立山への縦走路。足立山(597メートル)は、展望はイマイチな山です。
腹が減っているので、今日はここで引き返します。朝も昼も食ってなかった。

最後にもう一度、大展望を楽しんでから下山。

帰路は別コースを歩きました。真夏のようなモミジがいっぱいありました。
空腹と体重が加勢して、下りは早い早い。

下山後、駐車場近くのお好み焼き屋に飛び込みました。ソース焼きそばを発注。
ピーマン入り、海苔とゴマ。腹ペコだったから、余計に旨かった。