クリームパン
特別にクリームパンが好き!という訳ではないですが。
店先で見つけて、つい買ってしまった・・・。
明らかに意識して作ってますよね。まんまと釣られました。
オトーサンがどこから食べたのかは、当然ヒミツです。
店先で見つけて、つい買ってしまった・・・。
明らかに意識して作ってますよね。まんまと釣られました。
オトーサンがどこから食べたのかは、当然ヒミツです。

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18きっぷでちょっと山口~その5 サビエル記念聖堂~うなぎ
国道9号線を渡ってパークロードを下り、亀山公園になんとなく入場。
市内中心部にある公園で、小高い丘の上から市内(の一部)が一望できる。
「そうせい」でお馴染みの毛利敬親さんがいた。独りぼっちで寂しそう。
山口が、日本のクリスマス発祥の地だそうで、
クリスマス発祥の地って・・・
スペイン・ナバラ州政府がどういう権限で認定したのか・・・突っ込みどころ満載。
丘を越えると、なかなか前衛的なサビエル記念聖堂があった。
新しくなった記念聖堂は初めて見た。焼失した先代の方が断然良かった。
で、ザビエルさんがいた。オトーサンが行く先々で、よくお会いするなあ。
ザビエルさん布教ルート:鹿児島>平戸>山口>堺>京都>山口>大分>種子島
平戸から山口へやって来たザビエルさん、大内義隆(よしたか・第31代)と謁見。
ザビエルさん、義隆の男色に突っ込みを入れてしまって、ファーストコンタクトは失敗。
京都からの帰りに2度目の謁見。これは上手くいった。
きっと、京都みやげ(聖護院八橋とか・・・)を献上したのだろう。
京都好き義隆のハートを掴み、山口での布教の許しを得ることができた。
丘の麓に、白々しいチャペルがあった。(個人の感想です)
たぶんサビエル記念聖堂とは、何ら関係のない施設だと思う。
振り返ると、サビエル記念聖堂の尖塔が見えた。
清掃センターの煙突みたいだと思った。(個人の感想です)
てくてく歩いて、山口の町中へやって来た。
洞門アーケードを通って山口駅方面へ向かう。
井上真央ちゃんがいた。
萩ではそこそこ盛り上がっているみたいだが、ここはイマイチのよう。
うなぎ屋があった。時刻は13時、腹減った。
価格高騰、うなぎなんて手が出ないが、お手頃価格の日替わり定食があるみたい。
店の前で偶然いっしょになった見知らぬおばちゃんに続いて入店。
おばちゃんと同じテーブルに案内されそうになった。
おばちゃんと同じく、日替わり定食を発注。
さすがにうなぎは少しだったけど、丁寧な仕事でどれも美味しかった。
写ってないけどデザートも出て来た。ちょっと幸せになった。(つづく)

市内中心部にある公園で、小高い丘の上から市内(の一部)が一望できる。

「そうせい」でお馴染みの毛利敬親さんがいた。独りぼっちで寂しそう。

山口が、日本のクリスマス発祥の地だそうで、
クリスマス発祥の地って・・・
スペイン・ナバラ州政府がどういう権限で認定したのか・・・突っ込みどころ満載。

丘を越えると、なかなか前衛的なサビエル記念聖堂があった。
新しくなった記念聖堂は初めて見た。焼失した先代の方が断然良かった。

で、ザビエルさんがいた。オトーサンが行く先々で、よくお会いするなあ。
ザビエルさん布教ルート:鹿児島>平戸>山口>堺>京都>山口>大分>種子島
平戸から山口へやって来たザビエルさん、大内義隆(よしたか・第31代)と謁見。
ザビエルさん、義隆の男色に突っ込みを入れてしまって、ファーストコンタクトは失敗。
京都からの帰りに2度目の謁見。これは上手くいった。
きっと、京都みやげ(聖護院八橋とか・・・)を献上したのだろう。
京都好き義隆のハートを掴み、山口での布教の許しを得ることができた。

丘の麓に、白々しいチャペルがあった。(個人の感想です)
たぶんサビエル記念聖堂とは、何ら関係のない施設だと思う。

振り返ると、サビエル記念聖堂の尖塔が見えた。
清掃センターの煙突みたいだと思った。(個人の感想です)

てくてく歩いて、山口の町中へやって来た。

洞門アーケードを通って山口駅方面へ向かう。
井上真央ちゃんがいた。
萩ではそこそこ盛り上がっているみたいだが、ここはイマイチのよう。

うなぎ屋があった。時刻は13時、腹減った。
価格高騰、うなぎなんて手が出ないが、お手頃価格の日替わり定食があるみたい。
店の前で偶然いっしょになった見知らぬおばちゃんに続いて入店。
おばちゃんと同じテーブルに案内されそうになった。

おばちゃんと同じく、日替わり定食を発注。

さすがにうなぎは少しだったけど、丁寧な仕事でどれも美味しかった。
写ってないけどデザートも出て来た。ちょっと幸せになった。(つづく)
18きっぷでちょっと山口~その4 毛利家墓所~山口県庁
香山公園の隣、毛利家墓所へ行く。
もしかしたら、ここも香山公園の一部なのかも。よく分からない。
ちょうど陽が陰ってしまって、ちょっと寂しい。
萩の大照院、東光寺と並ぶ毛利家の墓所。
「そうせい」でお馴染みの毛利敬親の墓があった。ちいさな土饅頭。合掌。
参道の途中の指定位置に立ち、足踏みしたり拍手すると、音が反響して返って来る。
所謂「鳴き龍」現象のようなものだろうか。
ここが、鳴き龍が起こりそうな環境には思えない。不思議だ。
毛利家墓所を出て山口県庁方面へ歩いて行く。
洞春寺という寺があった。臨済宗建仁寺派。
大内家が建てた寺で、後に毛利元就の菩提寺になったとか。
道端に大きくなり過ぎたふきのとうがあった。これでは天ぷら化不能だな。
山口城のお堀。意地の悪そうな2羽の白鳥がいた。
白鳥が意地が悪そうなのは、「みにくいあひるの子」で刷り込まれたイメージだ。
白鳥になった元みにくいあひるの子は、白鳥でない、みにくい鳥をきっと卑下したはずだ。

山口城は毛利敬親が造った毛利家最後の城。
萩に城があるから、建前は「屋形」ということになっている。
屋形だから天守などはないが、実戦を考慮した立派な城だったそうだ。

薬医門(の通用口)を潜って入城。
内部には立派な山口県庁舎、山口県警庁舎が建っていた。
カッコイイ旧山口県庁舎。県政資料館として公開されている。・・・休館日だった。
山口県庁のすぐ隣に、「西の伊勢」と呼ばれる山口大神宮があったはずだ。
・・・行くの忘れた。(つづく)
もしかしたら、ここも香山公園の一部なのかも。よく分からない。

ちょうど陽が陰ってしまって、ちょっと寂しい。

萩の大照院、東光寺と並ぶ毛利家の墓所。
「そうせい」でお馴染みの毛利敬親の墓があった。ちいさな土饅頭。合掌。

参道の途中の指定位置に立ち、足踏みしたり拍手すると、音が反響して返って来る。
所謂「鳴き龍」現象のようなものだろうか。
ここが、鳴き龍が起こりそうな環境には思えない。不思議だ。

毛利家墓所を出て山口県庁方面へ歩いて行く。
洞春寺という寺があった。臨済宗建仁寺派。
大内家が建てた寺で、後に毛利元就の菩提寺になったとか。

道端に大きくなり過ぎたふきのとうがあった。これでは天ぷら化不能だな。

山口城のお堀。意地の悪そうな2羽の白鳥がいた。

白鳥が意地が悪そうなのは、「みにくいあひるの子」で刷り込まれたイメージだ。
白鳥になった元みにくいあひるの子は、白鳥でない、みにくい鳥をきっと卑下したはずだ。

山口城は毛利敬親が造った毛利家最後の城。
萩に城があるから、建前は「屋形」ということになっている。
屋形だから天守などはないが、実戦を考慮した立派な城だったそうだ。

薬医門(の通用口)を潜って入城。

内部には立派な山口県庁舎、山口県警庁舎が建っていた。
カッコイイ旧山口県庁舎。県政資料館として公開されている。・・・休館日だった。

山口県庁のすぐ隣に、「西の伊勢」と呼ばれる山口大神宮があったはずだ。
・・・行くの忘れた。(つづく)
ネジバナ

6月も後半に入り、そろそろ咲き始めました。
ラン科の多年草。らせん状にピンクの花を付けます。
ラン科といっても、そこいら辺の空き地や公園に、普通に咲いています。
小さな花なので、簡易マクロ機能では、なかなか上手く写りません。
ちゃんと写すには、ちゃんとしたマクロレンズが必要です。
18きっぷでちょっと山口~その3 瑠璃光寺
瑠璃光寺へ入る。
瑠璃光寺の境内が香山公園(こうざんこうえん)ということになっている。
実際は、香山公園の中に瑠璃光寺があるような感じ。
瑠璃光寺の境内が香山公園(こうざんこうえん)ということになっている。
実際は、香山公園の中に瑠璃光寺があるような感じ。

香山公園に入ると、右手にいきなりメインの五重塔が現れる。
メインは最後に残しておいて、先に瑠璃光寺の本体へ。

元々は大内家の菩提寺、香積寺(こうしゃくじ)があった場所。
毛利家によって香積寺が萩に移って、その跡地に瑠璃光寺が移転して来た。
で、瑠璃光寺はなんと、あの陶(すえ)家の菩提寺。
大内家を下克上したあの陶家だ。

曹洞宗、保寧山(ほねいさん)瑠璃光寺。ご本尊は薬師如来。

境内の隅に佛足石(ぶっそくせき)があった。硬貨がいっぱい。
カジノのルーレットを思い出した。我ながら信心がない。

さらに進むと金毘羅神社があった。大内家が琴平から勧請した金比羅大権現。
最盛期には筑前国まで手中にした大内家、博多を窓口に対外貿易、巨富を得た。
航海の安全を祈願して金毘羅さんを連れて来たのだろう。と説明版に書いてあった。

お地蔵さまがいた。お顔がリアル過ぎて怖い。も少しデフォルメして欲しい。

いよいよ五重塔。その前に司馬遼の文学碑を見学。萌え。

瑠璃光寺五重塔は大内盛見(もりはる・第26代)が、兄、義弘(第25代)の供養のため建てた。
今は瑠璃光寺五重塔だが、建立当時は香積寺に所属するものだった。
2層目に回縁(まわりえん)があるのが、瑠璃光寺五重塔の特徴らしい。

地元カメラマンのおじちゃんが、五重塔のベストショットポイントを教えてくれた。
ベストショットポイントからの写真はアップしない。

大内弘世の騎馬像があった。(つづく)
七里ガ浜
18きっぷでちょっと山口~その2 竪小路通り
国道9号線に出た。瑠璃光寺は国道を渡った対岸だが、国道を渡る前に寄り道。
竪小路(たてこうじ)を下る。竪小路通りは萩と三田尻(防府)を結ぶ萩往還の一部。
平入り2階建ての商家が並ぶ。湯布院みたくキラキラ観光地してないところが良い。
なんか凄そうなコロッケ屋さん。後で食ってみようか。
有名な和菓子屋さん。外郎の手作り体験が出来るらしい。やらない。
大きな色褪せた鳥居があった。平安神宮を思い出した。
鳥居を潜って中に入ってみる。鳥居の先には八坂神社があった。
大内弘世が、京都の、あの八坂神社から勧請したそうだ。
ここも楼拝殿造り。胡瓜紋と毛利紋はあったが、大内菱はなかった。

桧皮葺の本殿は1519年製だそうで・・・実は本殿を見ていない。
楼拝殿が新しそうだったので、面倒になって裏側まで周らなかった。失敗した。
八坂神社に並列して築山神社(つきやまじんじゃ)があった。
屋根がなんだかスゴイ状態になっている。何があったのだろう?

築山神社の祭神は、大内義隆(よしたか・第31代)。大内家、事実上最後の当主。
家臣である陶隆房(すえたかふさ)に下克上されちゃった、あの人だ。
築山神社を建てたのは毛利家で、徳川家康も奉られているらしい。
屋根が落ちて来るとたまらんので、近づかない。
あの凄そうなコロッケ屋に行ってみる。
全国コロッケコンクール金賞を受賞したコロッケ屋だそうだ。

金賞コロッケを発注。1個180円と高価な割りに小型。店の前で立ち食い。
中も外もベッチョリだった。いつ揚げたのだろう。これで180円取ったらいかん。
この凄そうなコロッケ屋は、京都や小樽にも出店しているそうだ。
前回行った湯布院にも系列店と思われる店があったな。
気を取り直して瑠璃光寺へ行く。口の中がベトベトだ。
萩往還を歩いていると、大きな立派な民家があった。屋根瓦に毛利紋。
表札は毛利さんではなかった。毛利家の家臣さんのお宅だろうか。
頭の中で、シュガーのウエディング・ベルが鳴り出した。困ったものだ。
春なので、菜の花も咲いている。
ウエディング・ベル効果で足取り軽く、瑠璃光寺前の大型お土産屋前に到着。
観光バスなんかで連れて来られた人たちは、ここでお土産品を購入するのだろう。
オトーサンは観光バスで来ていないので、ここで購入する義理はない。素通る。
いよいよ瑠璃光寺五重塔を見学する。今回のメーンエベントだ。(つづく)

竪小路(たてこうじ)を下る。竪小路通りは萩と三田尻(防府)を結ぶ萩往還の一部。
平入り2階建ての商家が並ぶ。湯布院みたくキラキラ観光地してないところが良い。

なんか凄そうなコロッケ屋さん。後で食ってみようか。

有名な和菓子屋さん。外郎の手作り体験が出来るらしい。やらない。

大きな色褪せた鳥居があった。平安神宮を思い出した。

鳥居を潜って中に入ってみる。鳥居の先には八坂神社があった。
大内弘世が、京都の、あの八坂神社から勧請したそうだ。
ここも楼拝殿造り。胡瓜紋と毛利紋はあったが、大内菱はなかった。

桧皮葺の本殿は1519年製だそうで・・・実は本殿を見ていない。
楼拝殿が新しそうだったので、面倒になって裏側まで周らなかった。失敗した。
八坂神社に並列して築山神社(つきやまじんじゃ)があった。
屋根がなんだかスゴイ状態になっている。何があったのだろう?

築山神社の祭神は、大内義隆(よしたか・第31代)。大内家、事実上最後の当主。
家臣である陶隆房(すえたかふさ)に下克上されちゃった、あの人だ。
築山神社を建てたのは毛利家で、徳川家康も奉られているらしい。
屋根が落ちて来るとたまらんので、近づかない。
あの凄そうなコロッケ屋に行ってみる。
全国コロッケコンクール金賞を受賞したコロッケ屋だそうだ。

金賞コロッケを発注。1個180円と高価な割りに小型。店の前で立ち食い。
中も外もベッチョリだった。いつ揚げたのだろう。これで180円取ったらいかん。
この凄そうなコロッケ屋は、京都や小樽にも出店しているそうだ。
前回行った湯布院にも系列店と思われる店があったな。

気を取り直して瑠璃光寺へ行く。口の中がベトベトだ。

萩往還を歩いていると、大きな立派な民家があった。屋根瓦に毛利紋。
表札は毛利さんではなかった。毛利家の家臣さんのお宅だろうか。
頭の中で、シュガーのウエディング・ベルが鳴り出した。困ったものだ。

春なので、菜の花も咲いている。

ウエディング・ベル効果で足取り軽く、瑠璃光寺前の大型お土産屋前に到着。
観光バスなんかで連れて来られた人たちは、ここでお土産品を購入するのだろう。
オトーサンは観光バスで来ていないので、ここで購入する義理はない。素通る。

いよいよ瑠璃光寺五重塔を見学する。今回のメーンエベントだ。(つづく)
歌戸丸
尾道市向島の歌港と、沼隈半島の戸崎港の間、400メートル程の水道を結ぶ渡船。
19.9トンの小さなフェリーで、普通車4台で一杯。機関出力は80馬力・・・かわいい。
歌戸渡船は随時運航。わずか400メートルだから、お客の有無は対岸から見える。
オトーサンが乗った時も、桟橋に立つオトーサンを見て、対岸から迎えに来てくれた。
平成22年に少し大きな新造船が入って、歌戸丸は予備船になったとか。
新造船になった今も、手を振ったら迎えに来てくれるのかな。
19.9トンの小さなフェリーで、普通車4台で一杯。機関出力は80馬力・・・かわいい。
歌戸渡船は随時運航。わずか400メートルだから、お客の有無は対岸から見える。
オトーサンが乗った時も、桟橋に立つオトーサンを見て、対岸から迎えに来てくれた。
平成22年に少し大きな新造船が入って、歌戸丸は予備船になったとか。
新造船になった今も、手を振ったら迎えに来てくれるのかな。

18きっぷでちょっと山口~その1 小京都・やまぐちへ
18きっぷ消化企画第2弾。ちょっと山口まで行ってきた。
小倉で下関行きに乗り換え、関門トンネルを抜けて山口県に上陸。
下関駅では18きっパーと思しき人もちらほら。今日はいい天気だ。
山陽線の普通電車に乗車。元新快速の都落ち電車、最近真っ黄色に塗り替えられた。
この単色はちょっと酷いなあ。
「まっきいろ」で変換を押したら、「末期色」と変換されてしまった・・・。
幕は真っ白。「JR西」でもいいから掲げて欲しい。空白じゃカッコつかないだろう。
新山口に到着。コンコースにあったうどん屋で朝食。味は・・・。
末期色の電車から、オレンジ色のディーゼルに乗り換え。
押しボタン式半自動ドアに、都会人のオトーサンはちょっと緊張。
開けたら閉めるのか、そのまま開けっ放しでいいのか?
女子大生っぽいお姉さんは、開けたらちゃんと閉めていた。
そうか、開けたら閉めるのか・・・面倒くさいな。開閉音も煩いし。
ボックス席は全て埋まり、立客も多い。混んでいる。
山口線に進入。やまぐち号用の茶色い客車がチラッと見えた。
山口駅の次、上山口駅で下車。停留所みたいな無人駅だった。
上山口駅から西ノ京、山口散策スタート。
西ノ京、山口を作ったのは大内家。
周防、長門の守護に任命された大内弘世(ひろよ・第24代・京都好き)が、
何もなかった山間の寒村を、京都風の町に作り変えた。室町時代のことだ。
以来今日まで(萩藩時代に中断したけど)山口は防長の中心地。
現在も山口県の県庁は、瀬戸内海に面した徳山や防府じゃなく山口にある。
・・・お勉強終わり。
旧国道9号線(山陰道)を渡ると、正面に鳥居が見えてきた。
今八幡宮(いまはちまんぐう)、山口総鎮守。
山口県特有の楼拝殿造り。元は宇治皇子を奉る古社。
大内政弘(まさひろ・第29代)が八幡神を合祀して八幡宮となったようだ。
今八幡宮のすぐ隣(裏)にある野田神社へ。明治時代に建てられた新しい神社。
野田神社は双子の神社で、同じ敷地内に豊栄神社が並列している。
バイクで言うならパラレルツイン、ホークⅡみたいな神社だ。(意味が分からん)
野田神社の祭神は毛利敬親(たかちか)公。
毛利敬親公は長州藩最後の藩主、吉田松陰の門下生の1人。
「花燃ゆ」では北大路欣也さん。決めゼリフは「そうせい」 ※そうしなさいの意
毛利敬親は明治4年、53歳で早世している。 ・・・当時の53歳はそこそこ長生きかも
豊栄神社側へ移動。野田神社と全く同じような造り。
こちらの祭神は毛利元就公。野田神社と同じく明治に建てられた神社。
明治2年に萩から遷座、明治天皇より「豊栄」の神号を下賜されたそうだ。
「三本の矢」の説明版があった。
1本ならすぐ折れるけど、3本ならちょっと力を入れると折れる。話。
ドリフのコントでやっていたのを思い出した。
こちらは毛利家のルーツ、吉田郡山城からやって来た松の木。
よしだこおりやまじょうと読みます。よしだぐんやましろではありません。
吉田郡山城にも行ってみたいが、公共交通機関では行き難い場所だったと思う。
野田神社側から入場して、豊栄神社側から出てきた。瑠璃光寺へ。(つづく)
小倉で下関行きに乗り換え、関門トンネルを抜けて山口県に上陸。
下関駅では18きっパーと思しき人もちらほら。今日はいい天気だ。

山陽線の普通電車に乗車。元新快速の都落ち電車、最近真っ黄色に塗り替えられた。
この単色はちょっと酷いなあ。
「まっきいろ」で変換を押したら、「末期色」と変換されてしまった・・・。
幕は真っ白。「JR西」でもいいから掲げて欲しい。空白じゃカッコつかないだろう。

新山口に到着。コンコースにあったうどん屋で朝食。味は・・・。

末期色の電車から、オレンジ色のディーゼルに乗り換え。
押しボタン式半自動ドアに、都会人のオトーサンはちょっと緊張。
開けたら閉めるのか、そのまま開けっ放しでいいのか?
女子大生っぽいお姉さんは、開けたらちゃんと閉めていた。
そうか、開けたら閉めるのか・・・面倒くさいな。開閉音も煩いし。
ボックス席は全て埋まり、立客も多い。混んでいる。
山口線に進入。やまぐち号用の茶色い客車がチラッと見えた。

山口駅の次、上山口駅で下車。停留所みたいな無人駅だった。

上山口駅から西ノ京、山口散策スタート。
西ノ京、山口を作ったのは大内家。
周防、長門の守護に任命された大内弘世(ひろよ・第24代・京都好き)が、
何もなかった山間の寒村を、京都風の町に作り変えた。室町時代のことだ。
以来今日まで(萩藩時代に中断したけど)山口は防長の中心地。
現在も山口県の県庁は、瀬戸内海に面した徳山や防府じゃなく山口にある。
・・・お勉強終わり。
旧国道9号線(山陰道)を渡ると、正面に鳥居が見えてきた。

今八幡宮(いまはちまんぐう)、山口総鎮守。
山口県特有の楼拝殿造り。元は宇治皇子を奉る古社。
大内政弘(まさひろ・第29代)が八幡神を合祀して八幡宮となったようだ。

今八幡宮のすぐ隣(裏)にある野田神社へ。明治時代に建てられた新しい神社。

野田神社は双子の神社で、同じ敷地内に豊栄神社が並列している。
バイクで言うならパラレルツイン、ホークⅡみたいな神社だ。(意味が分からん)

野田神社の祭神は毛利敬親(たかちか)公。
毛利敬親公は長州藩最後の藩主、吉田松陰の門下生の1人。
「花燃ゆ」では北大路欣也さん。決めゼリフは「そうせい」 ※そうしなさいの意
毛利敬親は明治4年、53歳で早世している。 ・・・当時の53歳はそこそこ長生きかも

豊栄神社側へ移動。野田神社と全く同じような造り。
こちらの祭神は毛利元就公。野田神社と同じく明治に建てられた神社。
明治2年に萩から遷座、明治天皇より「豊栄」の神号を下賜されたそうだ。

「三本の矢」の説明版があった。
1本ならすぐ折れるけど、3本ならちょっと力を入れると折れる。話。
ドリフのコントでやっていたのを思い出した。

こちらは毛利家のルーツ、吉田郡山城からやって来た松の木。
よしだこおりやまじょうと読みます。よしだぐんやましろではありません。
吉田郡山城にも行ってみたいが、公共交通機関では行き難い場所だったと思う。

野田神社側から入場して、豊栄神社側から出てきた。瑠璃光寺へ。(つづく)
新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)
先ずは腹ごしらえに行きました。野菜たっぷり、旨かった。
福岡県福津市、国道495号線沿いに、たくさんの古墳がポコポコ並んでます。
これが古墳だと知ったのは、ずいぶん大人になってから。
若い頃は全く興味なかった。
菜の花と30号墳、全長54メートルの前方後円墳だそうです。
国道のすぐ真横にある24号と1号墳、ともに前方後円墳。
道路でぶった切られたヤツとか、カントリーエレベーターにぶった切られヤツもある。
残っているものも、雨で崩れたのか、墳丘がブルーシートで覆われていたり。
ここも世界遺産候補、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」に入っているみたい。
世界遺産はともかく、せっかくの素晴らしい古墳群、
もう少し整備・保護できないものかしら。

福岡県福津市、国道495号線沿いに、たくさんの古墳がポコポコ並んでます。
これが古墳だと知ったのは、ずいぶん大人になってから。
若い頃は全く興味なかった。

菜の花と30号墳、全長54メートルの前方後円墳だそうです。

国道のすぐ真横にある24号と1号墳、ともに前方後円墳。
道路でぶった切られたヤツとか、カントリーエレベーターにぶった切られヤツもある。
残っているものも、雨で崩れたのか、墳丘がブルーシートで覆われていたり。
ここも世界遺産候補、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」に入っているみたい。
世界遺産はともかく、せっかくの素晴らしい古墳群、
もう少し整備・保護できないものかしら。
18きっぷでちょっと湯布院~その6 鈍行列車を乗り継いで帰宅
田んぼの中の田舎道を歩いて由布院駅まで戻る。
白滝川と大分川の合流点。晴れていれば由布岳が正面に見えるハズ。
「風のハルカ」の劇中で登場した場所だ。「風のハルカ」なつかしい。
駅前通りとの合流点に、宇奈岐日女神社の一の鳥居があった。

お肉屋さんの看板に「からあげ」の文字が・・・。
唐揚げと言えば中津だが、この辺りも唐揚げ文化圏に属するのか?
別府で特上天丼を食っているので、もう揚げ物は食えない。
駅前の土産物屋を覗いてみる。
高級羊羹、手が出ない。
由布院駅に帰って来た。
駅の中は人でいっぱい。もうすぐ到着する、ゆふいんの森に乗る人たちみたい。
由布院駅のホームには足湯がある。確か有料だったと思う。
こんな天気なので、誰も入っていなかった。
黄色いディーゼルに乗って湯布院を離れる。
日田駅に到着。日田駅もまた、あの人っぽいデザインで改装されていた。
ちょっと飲み物が欲しくなったが、どうもキヨスクが見当たらない。
仕方なく駅前広場を横断して、向かいのスーパーまで買いに走った。
ホームに戻ると、オトーサンの乗るべき、小倉行き普通列車は既に入線。
なんと、ホームと反対側のドアも開放している。
昔は終着駅なんかで普通にやっていたが、最近は見かけない。久しぶりに見た。
夜明駅から日田彦山線に入り、宝珠山(ほうしゅやま)駅に停車。
宝珠山駅は大分県と福岡県との境目の駅。ホーム上に県境がある。
長~い釈迦岳トンネルに入る。車内にはオトーサンを含めて3人。
釈迦岳トンネルは九州で2番目に長いトンネルで、昭和31年に開通。
工事中の落盤事故で21名の方が殉職されている。合掌。
田川後藤寺駅で後藤寺線に乗り換え。
新飯塚から筑豊線を経由して帰宅。おしまい。

白滝川と大分川の合流点。晴れていれば由布岳が正面に見えるハズ。
「風のハルカ」の劇中で登場した場所だ。「風のハルカ」なつかしい。

駅前通りとの合流点に、宇奈岐日女神社の一の鳥居があった。

お肉屋さんの看板に「からあげ」の文字が・・・。
唐揚げと言えば中津だが、この辺りも唐揚げ文化圏に属するのか?
別府で特上天丼を食っているので、もう揚げ物は食えない。

駅前の土産物屋を覗いてみる。
高級羊羹、手が出ない。

由布院駅に帰って来た。
駅の中は人でいっぱい。もうすぐ到着する、ゆふいんの森に乗る人たちみたい。

由布院駅のホームには足湯がある。確か有料だったと思う。
こんな天気なので、誰も入っていなかった。

黄色いディーゼルに乗って湯布院を離れる。

日田駅に到着。日田駅もまた、あの人っぽいデザインで改装されていた。
ちょっと飲み物が欲しくなったが、どうもキヨスクが見当たらない。
仕方なく駅前広場を横断して、向かいのスーパーまで買いに走った。

ホームに戻ると、オトーサンの乗るべき、小倉行き普通列車は既に入線。
なんと、ホームと反対側のドアも開放している。
昔は終着駅なんかで普通にやっていたが、最近は見かけない。久しぶりに見た。

夜明駅から日田彦山線に入り、宝珠山(ほうしゅやま)駅に停車。
宝珠山駅は大分県と福岡県との境目の駅。ホーム上に県境がある。

長~い釈迦岳トンネルに入る。車内にはオトーサンを含めて3人。
釈迦岳トンネルは九州で2番目に長いトンネルで、昭和31年に開通。
工事中の落盤事故で21名の方が殉職されている。合掌。

田川後藤寺駅で後藤寺線に乗り換え。

新飯塚から筑豊線を経由して帰宅。おしまい。
船好きよ、博多港・中央埠頭に集え!
博多に行く用事があって、用事の合間に博多港をうろついた。
つい先日も来たばかりだけど、今度は夕暮れの博多港を見たくなった。
イベントバースには、航海訓練所の練習船、大成丸が停泊中。
昨年就航したばかりのまだ新しい船で、船体には少しの錆もなく真っ白。
国際バースから、SKYSEA GOLDEN ERA というクルーズ船が出港して行った。
全長252メートル、7万2458トン。これから上海へ向かうみたい。
海沿いの遊歩道では、みなさんそれぞれ夕涼み中。この日の日中は暑かった。
クルーズ&レストラン船、マリエラ号。この船に乗ることは多分ないと思う。
市営渡船、きんいん号。西戸崎を経由して志賀島まで走ってます。
ポートタワーへ昇ってみる。実はここに昇るのは初めて。
高さ100メートル(展望台は70メートル)、1964年生まれ。なんと無料。
展望台からは360度見渡せる。遠くに志賀島、能古島も見える。
窓ガラスが針金入りで、写真撮影には向かない。AFでは針金にピントが来る。
野母商船のフェリー、太古。博多港と五島列島を結んでいます。これには、いつか乗ってみたい。
九州郵船のフェリーちくしが入港。
郷ノ浦からヴィーナスの最終便が入港。お客を降ろすとすぐに出て行った。
タワーを降りて、太古に近づいてみる。椰子の木はいい感じだがコンテナがじゃま。
太古の先っぽアップ。天狗の鼻みたいなのが付いている。バルバスバウって言います。
この出っ張りを付けると、造波抵抗が減少して、燃費が向上する。らしい。
でも、バルバスバウって水面下にないと効果がないのでは?
満載喫水でギリギリ水面下、通常はほぼ水面上に出たまま航行するのでは?
前に進めば水面は盛り上がるのだろうけど・・・?
19時過ぎ、日没。
再び大成丸の近くに。大成丸をじっくり眺める。
船楼が後ろに行くほど高くなる、ちょっとカッコ悪いプロポーションだなあ。先代の方が好きかも。
大成丸は練習船だから、そりなりの理由があって、こんな形になっているんだろう。
ポートタワー点灯、大成丸にも灯が点りました。
つい先日も来たばかりだけど、今度は夕暮れの博多港を見たくなった。

イベントバースには、航海訓練所の練習船、大成丸が停泊中。
昨年就航したばかりのまだ新しい船で、船体には少しの錆もなく真っ白。

国際バースから、SKYSEA GOLDEN ERA というクルーズ船が出港して行った。
全長252メートル、7万2458トン。これから上海へ向かうみたい。

海沿いの遊歩道では、みなさんそれぞれ夕涼み中。この日の日中は暑かった。

クルーズ&レストラン船、マリエラ号。この船に乗ることは多分ないと思う。

市営渡船、きんいん号。西戸崎を経由して志賀島まで走ってます。

ポートタワーへ昇ってみる。実はここに昇るのは初めて。
高さ100メートル(展望台は70メートル)、1964年生まれ。なんと無料。

展望台からは360度見渡せる。遠くに志賀島、能古島も見える。
窓ガラスが針金入りで、写真撮影には向かない。AFでは針金にピントが来る。

野母商船のフェリー、太古。博多港と五島列島を結んでいます。これには、いつか乗ってみたい。

九州郵船のフェリーちくしが入港。

郷ノ浦からヴィーナスの最終便が入港。お客を降ろすとすぐに出て行った。

タワーを降りて、太古に近づいてみる。椰子の木はいい感じだがコンテナがじゃま。

太古の先っぽアップ。天狗の鼻みたいなのが付いている。バルバスバウって言います。
この出っ張りを付けると、造波抵抗が減少して、燃費が向上する。らしい。
でも、バルバスバウって水面下にないと効果がないのでは?
満載喫水でギリギリ水面下、通常はほぼ水面上に出たまま航行するのでは?
前に進めば水面は盛り上がるのだろうけど・・・?

19時過ぎ、日没。

再び大成丸の近くに。大成丸をじっくり眺める。
船楼が後ろに行くほど高くなる、ちょっとカッコ悪いプロポーションだなあ。先代の方が好きかも。
大成丸は練習船だから、そりなりの理由があって、こんな形になっているんだろう。

ポートタワー点灯、大成丸にも灯が点りました。
根府川駅
東海道線の小田原と熱海の間、相模湾に面した崖の上にある駅。
駅舎は南東向きの斜面にあって、午前中は日当たり良好です。海が眩しい。
駅舎から1段低い所にホームがあります。けっこう広い構内です。
跨線橋の上から熱海方面を見る。ホームのすぐ先に根府川橋梁があります。
大正12年、関東大震災に伴う大規模な地滑りが発生。
根府川駅は列車ごと海中に滑り落ち、多くの方々が亡くなっています。合掌。
下田行きの特急「踊り子」が通過して行きました。
訪問したのは初冬の頃、そこそこ寒い日でしたが、ここは暖かくポカポカでした。

駅舎は南東向きの斜面にあって、午前中は日当たり良好です。海が眩しい。

駅舎から1段低い所にホームがあります。けっこう広い構内です。

跨線橋の上から熱海方面を見る。ホームのすぐ先に根府川橋梁があります。

大正12年、関東大震災に伴う大規模な地滑りが発生。
根府川駅は列車ごと海中に滑り落ち、多くの方々が亡くなっています。合掌。

下田行きの特急「踊り子」が通過して行きました。
訪問したのは初冬の頃、そこそこ寒い日でしたが、ここは暖かくポカポカでした。
18きっぷでちょっと湯布院~その5 宇奈岐日女神社
宇奈岐日女神社へ行く。
宇奈岐日女神社は、金鱗湖エリアからはやや離れた所にある。徒歩。
静かな田舎の道。道端にはいろんな花が咲いている。幸い雨は小降りになった。
小さな共同浴場があって、ポンプ施設の上にお地蔵さんがいた。
佛山寺(ぶっさんじ)というお寺がある。萱葺きの立派な三門。
由布岳山岳信仰の拠点となった寺だそうだ。現在は臨済宗妙心寺派に属する。
田園地帯の道をてくてく歩く。所々にペンションや旅館がある。堆肥の香りが漂っている。
天祖神社から25分歩いて、宇奈岐日女神社に着いた。
ひょうきんな顔の狛犬がお出迎え。
現在の祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)他、全部で6神となっている。
でも、本当は宇奈岐日女だろう。読みは「うなぎひめ」、「うなきひめ」、「うなぐひめ」と様々。
ウナギ姫って、ウナギイヌみたいなヤツか?
湯布院盆地(多分、太古は湖だったはず)の主、大ウナギの話?
境内には、台風で倒れた御神木の切り株が、たくさん展示されていた。
調べてみると・・・由布岳の女神、宇奈岐日女が蹴裂権現(けれつごんげん)に命じて、
湯布院湖の土手を蹴破らせ、湯布院を豊かな土地に変えた。という伝説があるらしい。
当たらずとも遠からず。オトーサンの想像力もなかなかのモノだ。
水を支配した神様だからウナギ姫かな。
湯布院湖がなくなると、湯布院湖に住んでいた龍の行き場がなくなってしまう。
龍の棲家として残されたのが、先ほど見た金鱗湖だ。
ウナギの神様だけあって、社殿は泉水の中に浮かんでいた。
ウナギ姫伝説って、健磐龍命(たけいわたつのみこと)の話に似てるな~。
健磐龍命は阿蘇の外輪山を蹴破って、阿蘇カルデラを開拓した神様だ。
宇奈岐日女神社を後に、由布院駅へ戻る。(つづく)
宇奈岐日女神社は、金鱗湖エリアからはやや離れた所にある。徒歩。

静かな田舎の道。道端にはいろんな花が咲いている。幸い雨は小降りになった。

小さな共同浴場があって、ポンプ施設の上にお地蔵さんがいた。

佛山寺(ぶっさんじ)というお寺がある。萱葺きの立派な三門。
由布岳山岳信仰の拠点となった寺だそうだ。現在は臨済宗妙心寺派に属する。

田園地帯の道をてくてく歩く。所々にペンションや旅館がある。堆肥の香りが漂っている。

天祖神社から25分歩いて、宇奈岐日女神社に着いた。

ひょうきんな顔の狛犬がお出迎え。

現在の祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)他、全部で6神となっている。
でも、本当は宇奈岐日女だろう。読みは「うなぎひめ」、「うなきひめ」、「うなぐひめ」と様々。
ウナギ姫って、ウナギイヌみたいなヤツか?
湯布院盆地(多分、太古は湖だったはず)の主、大ウナギの話?
境内には、台風で倒れた御神木の切り株が、たくさん展示されていた。

調べてみると・・・由布岳の女神、宇奈岐日女が蹴裂権現(けれつごんげん)に命じて、
湯布院湖の土手を蹴破らせ、湯布院を豊かな土地に変えた。という伝説があるらしい。
当たらずとも遠からず。オトーサンの想像力もなかなかのモノだ。
水を支配した神様だからウナギ姫かな。
湯布院湖がなくなると、湯布院湖に住んでいた龍の行き場がなくなってしまう。
龍の棲家として残されたのが、先ほど見た金鱗湖だ。

ウナギの神様だけあって、社殿は泉水の中に浮かんでいた。

ウナギ姫伝説って、健磐龍命(たけいわたつのみこと)の話に似てるな~。
健磐龍命は阿蘇の外輪山を蹴破って、阿蘇カルデラを開拓した神様だ。
宇奈岐日女神社を後に、由布院駅へ戻る。(つづく)