九州満喫きっぷで行く鹿児島旅行~その13 宝暦治水事件
城山へ登る遊歩道の入り口に、薩摩義士碑という慰霊碑があった。
説明板によると、
江戸時代中期、幕府の命により、木曽川、長良川、揖斐川の治水工事に派遣され、
工事途中で殉職した80余名の薩摩藩士達を弔うため、大正9年に建てられたらしい。
岐阜の治水事業を薩摩にやらせたのは幕府の嫌がらせで、
工事中も幕府側役人がいろいろと意地悪をしたらしい。
亡くなった80余名のうち51名は、幕府側の嫌がらせに対する抗議の自刃であった。
岐阜県の海津町には、薩摩義士を奉る神社があるそうだ。
またセントレアに行きそうな気がしてきた。
また、台湾ラーメンが食えそうだ。
国道10号線を歩いてホテルに帰る。
部屋で少し休憩した後、サービス朝食を取りに食堂へ下りる。
サービス朝食のメニューは、焼き塩鯖と卵焼き、味噌汁とキャベツのサラダ。
シンプルだけど十分だ。
ごはんが美味しい。
食後にオレンジジュースとコーヒーを頂いていると、
給仕のおばちゃんが、オトーサンに話しかけてきた。
おばちゃんは福岡の出身、オトーサンの近所の人だった。
もう少し話していたかったけど、電車の時間もある。
挨拶をして引き上げた。(つづく)
西鉄福間駅

静かな住宅地の中にあった小駅。
駅の裏手に小さな林があって、なんだか素敵な空間だった。
冬の晴れた日には小鳥が鳴いて、ひなたぼっこに最適。
線路のバラストにスミレが根付き、健気に花を咲かせていた。
九州満喫きっぷで行く鹿児島旅行~その12 早朝散歩
6時前に起床。
今日はもう帰る日だ。
・・・そんなことを考えると暗くなるので、考えないようにしよう。
早朝散歩に行く。
外に出ると、空はどんより。
ホテルのすぐ近くに照国神社がある。
照国神社を見学する。
島津斉彬公を奉る神社で、孝明天皇の勅命により建てられた。
照国神社が建っている場所は、かつて東照宮があった場所だそうだ。
鹿児島に東照宮があったとは知らなかった。
まさか東照宮をぶっ壊して建てたりしてないだろうな。
照国神社前の交差点が、国道3号線と10号線の起点となっている。
国道3号線は九州の西海岸を、
10号線は東海岸をそれぞれ北上して、北九州市で再び出会う。
小倉百人一首にある、崇徳院の歌を思い出した。
瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
国道10号線を北東へ進む。
大きな公園の向こうに西本願寺の大屋根。
左手に西郷さんの銅像が見えてきた。
西郷さんの前のT字交差点が、国道58号線の起点。
このゴーヤー街道は、鹿児島港まで少しだけ本土を走って、
島づたいに那覇まで続いている。
国道58号線の起点を過ぎて更に進むと、左手に鹿児島城跡が見えてきた。
1601年に出来た島津のお城(の跡)で、
現在は図書館や博物館なんかが建っている。
大手門の跡を通って入城。
石垣にボコボコと穴がある。
砲弾の跡ではなかろうか。
本丸跡には惣明館という歴史博物館があった。
篤姫像を見てから城跡を出る。
やっぱり宮崎あおいちゃんには似ていなかった。(つづく)
九州満喫きっぷで行く鹿児島旅行~その11 鹿児島ラーメン
日が暮れた。
ドルフィンポートから歩いて天文館へ。
晩メシにする。
調べてあった天文館近くの定食屋は休みだった。
第2希望のラーメン屋に行くと、こちらも閉まっていた。
当てもなく彷徨っていたら、偶然1軒のラーメン屋の前に出た。
なんか聞いたことのある名前のラーメン屋だった。
思い切って入店。
席についてびっくり、普通のラーメンが780円もする。
今さらや~めたとは言えないので、仕方なく普通ラーメンを発注。
頼んでいないのに、大根の漬物が出てきた。
鹿児島のラーメン屋では普通のことらしい。
浅漬けかと思ったら、しっかり漬かっていてけっこう塩辛い。
こんなの食ったら血圧が上ってしまう。
ラーメンはあっさり系で、もやしがシャキシャキして旨かったが、
デフォルトで780円は高いと思う。
どうも鹿児島のラーメン相場は、博多よりかなり高いようだ。
今夜の宿はネット予約した、1泊3500円のビジネスホテル。
ホテルに向けて歩いていたら、天ぷら屋(さつま揚げ屋)があった。
ビールの当てにいいと思って、さつま揚げを少し購入。
コンビニに寄ってビールとお茶を購入。
予約していたホテルにチェックイン。
新しくはないが、天文館からも近く、たいへん便利な場所にある。
サービス朝食付き。
部屋に入ってシャワーを浴びる。
岩盤浴もあるみたいだが、今日はもう十分に汗をかいた、岩盤浴は止めておく。
窓を開けて、ビールも開ける。
今夜は折りしも皆既月食。
ホテルの前を歩く人も、時々立ち止まって空を見上げていた。
買ってきたさつま揚げは、一般的なさつま揚げみたく甘くない。
弾力はプリプリで良い。
上品と言えば上品だが、味覚がお子様なオトーサンは、
普通の甘いさつま揚げが食いたかった。
どうも今回は、食い物は全てハズしているような気がする。
なんか物足りないが、今から外に出て行く元気もなく、テレビを見ながらダラダラ。
明日は早いので、とっとと寝てしまう。(つづく)
ヤブニッケイ
調べてみたら、近隣種の「ニッケイ」の樹皮は香辛料になる・・・
どころか、香辛料の王様、シナモン(桂皮、ニッキ)のことらしい。

ニッケイが本格的に日本に入ってきたのは、享保年間(1716~35年)。
京都鉄板おみやげ、聖護院八ツ橋は1689年に発売。
発売当時の八ツ橋は、今と同じくシナモン風味だったのか??

そこら辺の山に入れば普通にある雑木、ヤブニッケイがシナモンの親戚であることは分った。
また1つ勉強になった。アップルパイ食いたい。
大照院

萩に来てからの、毛利家歴代(偶数代)のお殿様が奉られています。
無数の石灯篭が壮観。昼間でもちょっと怖かった。

昨日放送の「花燃ゆ」、文(井上真央)と久坂玄瑞(東出昌大)の出会いのシーンで、
多分ここが使われてました。(← しっかり見てるし)
自分の知ってる所が出てくるのは、なんか嬉しい。次週も見てみようかな。
九州満喫きっぷで行く鹿児島旅行~その10 桜島
いづろ通りの交差点に、坂本龍馬とお龍の銅像があった。
龍馬とお龍は、いづろの船着場に上陸して、霧島へ行ったらしい。
日本初のハネムーン。
いづろ交差点からマイアミ通りという道を東へ進む。
10分くらい歩くと、ドルフィンポートという臨海商業施設っぽい場所に着いた。
ドルフィンポートの前は芝生広場になっていて、その先に桜島が見える。
ドルフィンポートを通り抜けて、芝生広場へ行く。
錦江湾越しに桜島を眺める。
桜島の頂上部分が雲に覆われ全容は見えないが、それでも十分迫力がある。
カッコいい。
桜島の噴火を一度見てみたい。
ちょっと期待して来たのだが、今日はどうもダメみたいだ。
昨日は何度か噴火したらしいが、今日は夜中に1度噴いただけみたい。
目の前に見える桜島は、とっても静か。噴煙も上っていないみたい。
マルエーフェリーの「フェリーあまみ」と、三島村村営「フェリーみしま」が停泊中。
フェリーあまみに乗ると、一晩で名瀬に行けるみたい。
乗ってみたいな。
海沿いの遊歩道を歩いて、鹿児島水族館の方へ行ってみる。
海風が涼しくて気持ちいい。
ふと足元を見ると、火山灰にまじって小さな軽石が無数に転がっていた。
水族館の隣の桜島フェリー乗り場を見学。
ちょうど桜島フェリーが入港して来た。
双頭フェリーにしては大型。
ミシシッピ川を走る外輪船みたいな船だった。
芝生広場に戻って来た。
船体が紺色のカッコいいフェリーが入って来た。
種子島航路の「プリンセスわかさ」という船だ。
船名の由来がたいへん気になる。
確か昨日、種子島宇宙センターでH-2Aの打ち上げがあったはずだ。
ロケットの発射も1度見てみたいな。
・・・桜島といい、種子島といい、どうも1日ズレている。
最後にもう一度、桜島を眺めてから、ドルフィンポートを後にした。(つづく)
九州満喫きっぷで行く鹿児島旅行~その9 鹿児島中央駅に到着
発車5分前、自動販売機で水分補給。
駅前に、「新田神社自是南東九丁」と刻まれた道標があった。
1丁は約109メートルらしいから、9丁で約1キロ。
新田神社まで17分(国道3号線の信号待ちが2分くらい)なので、
時速4キロくらいで歩いている。
オトーサンの足が特別遅い訳ではない。
やはり5分では無理だ。(← しつこい)
次の列車は平川動物公園号だった。
コアラが乗っていた。
乗車時間5分で川内駅に到着。
おれんじ鉄道とは、ここでサヨナラ、JRに乗り換えて鹿児島市へ。
JRの発車まで少々時間があるので、駅構内を歩いてみる。
川内駅は、おれんじ鉄道と新幹線、在来線の接続駅で、近代的な橋上駅舎。
駅前広場を見下ろすと、ニニギっぽい銅像が見える。
あそこまで行く元気はないので、横着をしてスマホで確認。
ニニギではなく、大伴家持の像らしい。
かつて川内に薩摩国府があって、
大伴家持が一時期、薩摩守として派遣されていたそうだ。
鹿児島中央駅行きの電車に乗車。鹿児島中央駅まで50分ほど。
クロスシートに収まって、車窓の風景を眺める。
色付きガラスなので色見が少し変だが、
稲刈り前の黄色い田んぼがきれい。
いつの間にか線路は複線となって、広木という、緑に囲まれた無人駅を過ぎると、
いきなり鹿児島市街地に突入。
16時8分、鹿児島中央駅に到着。
オトーサン的には「西鹿児島」の方がしっくりくるな。
鹿児島に来るのは10年ぶり。
鹿児島中央駅の大階段はなくなっていた。
桜島を見に行く。
桜島のビューポイントを考えてみた。
城山展望台が思い浮かんだが、歩いて行くのは大変そう。
バスの便もあまり良くない。
鹿児島港へ行ってみることにした。
鹿児島中央駅前から市電に乗車。
鹿児島市電も九州満喫きっぷが使える。
天文館の次、「いづろ通」という電停で降りた。(つづく)
井原1号墳

伊都国(現:福岡県糸島市)の田んぼの中に鎮座。小さな、かわいらしい前方後円墳。
近くには、戦艦大和もびっくりな、46センチ級の鏡がザクザク出てきた平原遺跡もあります。
46センチ級は伊都国歴史博物館で見られます。入館料はたったの210円。オススメです。
九州満喫きっぷで行く鹿児島旅行~その8 可愛山陵
当初の予定では、おれんじ鉄道の終着駅、川内(せんだい)からバスに乗って、
可愛山陵(えのやまのみささぎ)に行く心算だった。
が、ブタさん号の車内に、「可愛山陵まで上川内駅から徒歩5分」と
案内があるのを見つけてしまったぶ~。
たった5分なら行ける。
川内の1つ手前、上川内(かみせんだい)で下車することにした。
次の列車まで約1時間、可愛山陵を見学して戻ってくる時間は十分にある。
上川内駅を出て歩き始める。
国道3号線を渡って、いわさきバスの営業所の前まで来た。
この時点でもう5分経過している。
ずんずん歩くが、なかなか着かない。
上川内駅から17分歩いて、やっと新田神社の前に着いた。
可愛山陵は新田神社の裏手にある。
上川内駅まで、また歩いて帰らなくてはならない。
新田神社と可愛山陵の見学時間は20分しかない。
徒歩5分なんてトンでもないウソ情報だった。
・・・おれんじ鉄道、恐るべし。
時間がない、急いで見学。
朱の巨大な二の鳥居がある。
一の鳥居はここから参道を1キロ南に行った、川内川の畔にあるそうだ。
ぬめっとした太鼓橋を渡り、石段の取り付く。
けっこうな石段である。
やっとこさ登り切ったと思ったら、そこは中間地点で、また急な石段が現れた。
息を切らしながら、汗を拭きながら、おれんじ鉄道を恨みながら登る。
巨大な楠の前を過ぎると、拝殿(勅使殿)前にたどり着いた。
天孫ニニギとアマテラス、オシホミミを奉る。
薩摩国一宮。江戸時代までは八幡社だったらしい。
社務所の前を通って可愛山陵へ。
可愛山陵は新田神社のすぐ裏にあった。
宮内庁管轄。いつもの注意書きあり。
ここにも楠の巨木があった。
明治政府によりニニギの陵墓と比定。
「筑紫の日向の可愛の山陵」の比定地は宮崎県にもある。
ここがニニギの陵墓とされたのは、
薩摩閥が明治政府内で強い力を持っていたからだ。
ニニギの奥さん、コノハナサクヤヒメの陵も近くにあるけど、もう時間がない。
来た道をずんずん歩いて、上川内駅に戻った。(つづく)
意味がない
九州満喫きっぷで行く鹿児島旅行~その7 東シナ海に沿って南下
津奈木駅の自動販売機で、冷たいジュースを飲んで喉を潤す。
足早に歩いたこともあって、暑くてたまらない。
出水行きおれんじ鉄道に乗車。クーラーが嬉しい。
今度の車両はブタさん号。
30分ほどで県境を越えて、鹿児島県出水に到着。
出水で川内行きに乗り換え。
乗り換え時間は6分。
ホームを出て、飛来里(ひらりでいいかな)という観光物産館まで、駅弁を買いに走る。
お目当ての「えびめし」は売り切れだった。
残っていたのは豚と鮎・・・ちょっと迷って鮎を選んだ。
「あゆ物語」を抱えてホームに戻る。
川内行きのおれんじ鉄道はノーマル車両だった。
ホームの鶴に見送られて出水駅を出発。
高校生が少々乗って来て、車内が賑やかになった。
駅弁タイム「あゆ物語」を開封。
白ごはんの上に鮎の甘露煮、卵焼き、竹の子などの煮物、酢の物。
さつま揚げも乗っかっている。
思いっきり和風でヘルシーな駅弁だ。
甘露煮も煮物も美味しかったけど、ちょっと物足りないかも。
駅弁を食い終わると、列車は再び海沿いを走っていた。
このノーマル車両も窓が汚れている。
山側の窓はそうでもないが、肝心の海側が汚れていて、白内障のような風景。
海岸風景を売りにしているのに、海側の窓が汚れているのはダメだろう。
阿久根に停車。
阿久根から海沿いの景勝エリアを走る。
最後尾に移動、貫通扉の窓から写真を撮る。
こちらの窓はきれい。
国道3号線と絡みながら、東シナ海に沿って南下。
沖に霞んで見えるのは甑諸島だと思われる。
一応、文庫本を持って来たけど、風景をボーっと眺めている方がいい。
薩摩高城(さつまたき)という駅で、くまモン号とすれ違った。
くまモン号は高校生で満員だった。
薩摩高城から内陸に入り、そろそろ川内に近づいて来た。(つづく)
九州満喫きっぷで行く鹿児島旅行~その6 津奈木町
駅前を通る国道3号線を渡り、津奈木川を渡って、津奈木の町に入る。
グーグルマップで見つけた神社を目指して、狭い路地に入って行く。
水路に小さな石橋が架かっていた。
小さな石橋を渡る。
ちょっと迷って為朝神社に着いた。
古い住宅地の中にある、小さなお堂のような神社だった。
境内には説明板もなく、誰を奉っているのか分らない。
為朝とは、名前からして源氏の人間だろう。
調べてみたら、源為朝というスゴい武将だった。
弓の名手、若い頃、鎮西(九州)で大暴れして、
保元の乱で崇徳上皇方に着くも、助命されて伊豆大島に流罪となる。
伊豆大島でひと暴れした後、自害。(琉球に渡ったという説もある)
日本で初めて切腹をした人らしい。
どんな縁で、為朝が津奈木に奉られているのかは、分らなかった。
まだ少し時間があったので、重盤岩(ちょうはんがん)へ行ってみる。
重盤岩とは、高さ80メートルほどの岩峰。
おれんじ鉄道の車窓からも見えるそうだが、オトーサンは気付かなかった。
津奈木川に沿って随分歩いた。
重盤岩は遠かった。
中学校の前まで来たところで、もう時間がなくなった。
少し先に石積みのアーチ橋が見えるのだが、そこまで行かず、
重盤岩も見ないまま、津奈木駅に戻る。
石積みアーチ橋は、重盤岩めがね橋といって、
石工の三平という人が造った橋だとか。
石工の三平とは、
鹿児島甲突川に架かる石橋群を造った肥後の石工、岩永三五郎の弟子。
薩摩藩の事情を知りすぎて、肥後に帰る途中で刺客に襲われ負傷。
津奈木の人達の手厚い看護を受け、一命を取り留めた。
そのお礼に、津奈木に幾つかの石橋を造ったそうだ。
為朝神社に行く途中の小さな石橋も、三平が造ったものだった。(つづく)
謹賀新年

新年早々、墓場の写真でスミマセン。
若い頃は恐怖感や嫌悪感だったが、最近は親近感すら感じるぞ。
西(極楽浄土)向きの墓所も素敵だが、ここは東向き。朝日を浴びて光ってる。
町の中にある墓所って、なんかいいな。