寝台特急

博多で酔っ払った帰り、時々見かけた寝台特急。
若い頃、何度か乗ったことがある。決して快適ではなかったけれど、旅情はあった。
残るは北斗星1往復だけとか。
時代の流れ、仕方ない。
弾丸日帰り神戸~その3 神戸海洋博物館とカワサキワールド
定刻に神戸六甲アイランドに入港。
ポートアイランドの方が便利なのに、どうしてこっちになったのだろう。
隣の岸壁には、大分から来た「さんふらわあ・ぱーる」がいた。
接岸作業を手伝っているのは、白いゴム長を履いた、どう見ても厨房のスタッフだ。
阪九フェリーも色々と頑張っているのだな。
1番に下船。要らない荷物をコインロッカーに突っ込む。
連絡バスに乗ってアイランド北口駅まで移動。
アイランド北口から六甲ライナーに乗って魚崎まで。
魚崎から三宮までは阪神電車で移動。
三宮のマック(神戸ではマックなのか、マクドなのか?)で朝メシを食った後、
ポートライナーに乗ってポートアイランドへ。
ポートアイランド某所でチャチャっと用件を済ませた。
まだ午前中。帰りのフェリーが出る18時半まで自由時間。
さて、どこに行こう。
とりあえず、ポートライナーに乗って三宮まで戻る。
三宮駅前からフラワーロードを南下。蒸し暑い。汗が吹き出る。
市役所の24階ロビーが、無料展望台として解放されているらしい。
神戸市役所に行ってみる。
エレベーターで一気に24階へ。
ほど良い高さで、ほぼ360度の展望。色付きガラスなのが残念。
南側はポートアイランドと、遠くに泉州の山々。
北側には三ノ宮駅と生田の杜、六甲山が見える。
アジア系外国人団体旅行者がやって来た。逃げるように地上へ降りる。
新しい地下鉄に乗って元町まで移動。ポートタワーホテルの真下を通る。
ポートタワーホテルには20数年前に1度、泊まったことがあるな。
ポートタワーホテル下の広場に、「イルカに乗った少女」のブロンズ像があった。
細かい所まで作り込まれていて、立ち止まって見入ってしまった。
汗びっちょりでメリケンパークに着いた。
超伝導船「ヤマト」が屋外展示されていた。ヤマトのフォントが宇宙戦艦だ。
神戸海洋博物館に避暑を兼ねて入館。
「神戸港の歴史」的な展示と、大量の船の模型など。
海洋博物館に併設して「カワサキワールド」という、川崎重工の企業博物館があった。
カワサキワールドの方が断然面白かった。
航空機、船舶、鉄道車両など、川重の作品が展示されている。
バイクコーナーには、懐かしいバイクがいっぱい展示されていた。
カワサキワールドは撮影自由。写真を撮りまくる。(つづく)
Mcdonnell Douglas MD‐90

今は無きJALのMD-90、羽田空港行き。元JAS黒澤レインボーカラー機。
細長い陸地は愛媛県の佐田岬半島。
もうダグラスの飛行機に乗る機会はないのだろうな。
弾丸日帰り神戸~その2 明石海峡大橋
2等雑魚寝スペースには、四角い枕と毛布。
寝袋みたいな青い掛け布団がセットされている。
毛布を広げて寝っ転がる。
何もする事がない。文庫本でも持って来れば良かった。
案内所でもらったパンフレットなどを見る。
持て余して、再び船内探索に行く。
食堂の混雑は一段落。トラックドライバーさん達の宴会が始まっていた。
案内所の前では夜食用おにぎりや、阪九フェリー名物、パイシューが売られていた。
パイシューは以前食ったことがある。
シュークリームの皮に、カスタードではなくホイップクリームが詰めてある。
船内で焼かれているらしい。正直言って、そんなに美味しいものではなかった。
フェリーせっつは、真っ暗な海の上を進んでいる。
部屋でぼーっと過ごすが、退屈がたまらなくなって、再々船内探索に行く。
オトーサンと同じように、持て余している人達が、船内をウロウロしている。
トラックドライバーさん達の宴会は、まだ続いていた。
売店で缶ビールと柿ピーを買って部屋に戻る。
船内は冷房が効き過ぎで、最初は良かったが、身体もだんだん冷えてきた。
焼酎の方が良かったかも。
毛布に包まってビールを飲む。
天気が良ければ外に出て、デッキで「1人ビアガーデン」するつもりだったが、
雨が降っているから仕方ない。
22時に消灯。
大きな船なので波による揺れはないが、瀬戸内の島々を避け、
右に左に進路を変えるので、その度に船体が傾くのを感じる。
寒さで夜中に何度が目が覚めたが、まあそこそこ眠れた方だ。
5時に起床。外に出て暖かい風に当たる。
フェリーせっつは、姫路沖を明石海峡に向けて航行中。
雨は降っていないが、上空は雲が垂れ込めている。東の方は薄っすらとオレンジ色。
カメラの調子がおかしい。
風景に紗がかかったように見える。レンズは曇っていない。
どうもカメラ内部で結露しているようだ。
冷房キンキンの船内から、急に外に出たからだろう。
しばらく放置していたら、復活した。良かった。
明石海峡大橋が見えて来た。
右手には淡路島、左手にはジェノバラインの高速船と、明石の時計台が薄っすら見える。
明石海峡大橋に近づくと、見物人がゾロゾロとデッキに出て来た。
6時少し前、明石海峡大橋の下を通過。
老若男女、それぞれのカメラ機器で撮影大会!
船内に戻って温かい缶コーヒーでも飲もうと思ったけど、
自販機は全てコールドだった。(つづく)
弾丸日帰り神戸~その1 フェリーせっつ
8月の某日、所用で神戸へ行くことになった。
諸事情によりフェリーで日帰り往復、船中2泊。
いわゆる、0泊3日弾丸ツアー。阪九フェリー、新門司~神戸航路を利用。
今回は旅行会社を通してチケットを購入。
ツアー扱いで、往復実質7500円と激安だ。ありがとう、阪九フェリー。
18時少し前に新門司港に着いて、大極殿みたいなターミナルで乗船手続き。
エスカレーターで4階に上り、タラップを渡って「フェリーせっつ」に乗船。
デカい船だ。
激安なので当然2等の雑魚寝。
2等船室エリアに行き、一番奥の部屋に寝床を確保した。
船内は空いていて、あの国の団体客も乗っていない。
小学生の体育会系団体が1組いたけれど、引率者がしっかりしているのだろう、
皆お行儀の良い子供達だった。
荷物を放置して食堂へ行く。
阪九フェリーの食堂はカフェテリア方式。
トレイをスライドさせながら、希望の食品を載せて行く。
船の中なので仕方ないけれど、やはりお値段は高め。
安く乗せてもらってるのだから、ここは売り上げに貢献する。
数品のおかずとごはん、仕方なく生ビールもトレイに積載してレジへ。
合計1700円ほどになった。
飲食スペースは、流石にまだ空席が目立つ。
窓際の、お一人様用カウンター席に座って食う。
味は濃い目で量は多め。ガテン系向けの設定だ。
一般人は1品を数人でシェアするのが正解だ。
窓からの風景が、いつの間にか動いていた。
以前、泉大津航路に乗った時は、食堂はものすごい振動で、
削岩機の上でメシを食っているような感じだったが、この船は静かだ。
メシを食い終えた。船内を探索しながら、船室に戻ることにする。
客室部分は3階建て。上に行くほど高級なエリア。2等船室は1階にある。
エントランス部分は吹き抜けになっていて、上層階へ行く螺旋階段がある。
レストランと売店、案内所は1階。
螺旋階段で2階に上って、屋外のデッキに出てみる。
残念ながら天気が良くない。ポツポツと雨が降っている。
隣のバースに名門大洋フェリーの「フェリーきょうと2」がいた。
新門司と大阪南港を結んでいるが、かつて名古屋航路に就航していた名残で、
今だ「名門フェリー」を名乗っている。
売店を覗く。缶コーヒー、缶ビール、おつまみ、九州と神戸の銘菓など。
阪九フェリーTシャツ、誰が買うのだろう。(売店の写真は取り忘れた)
食堂が混雑してきて、ごちゃごちゃしている。先に食って正解だった。(つづく)
奥出雲おろち号

木次線(きすきせん)、出雲坂根駅にて。
オトーサンが乗っていたのは、おろち号じゃなくて、単行のキハの方。
本当はおろち号に乗りたかったけど、きっぷが取れなかった。
観光列車も良いけれど、地元のおばちゃん達と一緒なキハの旅も、それはそれで良かった。
平戸とか、唐津とか~その12 高島・宝当神社
松浦橋を渡って唐津城下の駐車場に着いた。
渡船の出港まで10分を切っている。急いで船着場へ行く。
出港3分前に乗船。小さな渡船は乗客でいっぱい。座るところがなかった。
唐津湾を10分間クルージングして高島に到着。
高島は典型的なメサ地形、伐り株のような形をした島だ。
高島に上陸。みやげ物屋の店員がお出迎え。港のすぐそばに2軒のみやげ物屋がある。
滞在時間は40分くらいしかない。みやげ物屋は後回し。先に宝当神社へ行く。
民家の間の細い路地を行くと、ほんの数分で宝当神社に着いた。
宝当神社の祭神は、野崎隠岐守綱吉という人。戦国時代の武士。
肥前草野氏に仕えていたが、いろいろあって高島へやって来て、高島を襲った海賊を退治。
一躍、高島のヒーローになる。早世して、大権現として奉られた。
時は流れて明治時代、高島は製塩業で大当たり。
これもきっと綱吉様のお陰と、大権現から宝当神社に改名されたらしい。
近年は宝くじの神様として大人気。宝当神社にお参りすると、宝くじ高額当選するらしい。
おばちゃん達多数参拝中。オトーサンも一応お参りしておいた。
宝当神社から少し歩いて、山の麓にある塩屋神社へ行ってみる。塩屋神社は高島の総氏神で、
野崎綱吉さんの先祖、藤原鎌足、不比等、魚名(うおな:不比等の孫)を奉る。
ついでに大山祇神も奉って、後に菅原ちゃんも奉られたらしい。
こんな所で不比等さんに出会うとは思わなかった。
そろそろ港に戻る。
みやげ物屋に入ってみた。宝当まんじゅうや宝当せんべい、宝当袋なるものが売られている。
宝当袋に運気を入れて持ち帰る。購入した宝くじを宝当袋に納め、神棚に供えると宜しいそうだ。
どうも安っぽい巾着袋にしか見えないが、売られている宝当袋は結構なお値段である。
そんな素晴らしい宝当袋なら、他人に売ったりしないで、自分で一発当てたらいいのにな。
と思ったのは、ここだけのヒミツにしておく。
渡船に乗って唐津に帰って来た。唐津城を見学する時間はなかった。
虹ノ松原でハンバーガーを食って、バイパス道は通らず、海沿いの旧道を走って帰る。
予定通り昼過ぎに帰宅。ちょっと忙しかったけれど、楽しい1日半だった。(おわり)
で、試しにサマージャンボを1枚買ってみたら、見事に300円当たった。
平戸とか、唐津とか~その11 平戸から唐津へ
ザビエル記念碑の隣の小さな天満宮。ここから平戸の町並みが良く見える。
階段を下りて地上へ。ザビエル記念教会へ行く。尖塔を目印に適当に歩く。
松浦史料博物館の前を通り、石畳の坂道を上ると、ザビエル記念教会に着いた。
昭和6年に建てられた教会で、当初はカトリック平戸教会と呼ばれていたようだ。
昭和46年、境内にザビエル像が出来てから今の名前となった。
フランシスコ・ザビエルさんとの、直接の関係はないみたい。
誰もいなかったので、聖堂内をちょっとだけ見学させてもらった。
ザビエル記念教会の裏手から石段を下る。
瑞雲禅寺の山門を通り過ぎて振り返ると、有名な「寺院と教会の見える風景」である。
狭い路地を南下。また天満宮があった。典型的な肥前鳥居。ちょっと変わった参道だ。
鉄筋コンクリート3階建て建物の、1階駐車場内部を突っ切っている。
正面から見たら、とても神社の参道には見えない。こんな参道は初めてだ。
オランダ橋を見学して宿に戻った。
8時少し前に宿を発つ。平戸城の下を通る。平戸城に行くの忘れていた。また次の機会に行こう。
平戸大橋を渡り本土へ。松浦鉄道の、たびら平戸駅にちょっと寄り道。旧JR松浦線の平戸口駅。
日本最西端の駅(モノレールを除く)だ。駅前には何故か巨大なカマキリがいた。
なんでカマキリなんだろう。
佐世保から2両編成の列車が到着。数人の乗客が降りて来た。
ローカル線でのんびり汽車旅もいいだろうな。
国道204号を、松浦鉄道にひっついたり、離れたりしながら、伊万里に向けて走る。
きれいな砂浜があったので、ちょっと寄り道した。
9時過ぎに伊万里市街を通過。国道202号に乗り換える。
伊万里から唐津まで、およそ30キロくらいあるだろうか。高島行き渡船の時刻は10時。
駐車場に車を停めたりする時間もあるから、あまり余裕がなくなってきた。
気持ちは焦るが、先頭を走るプリウスが思いっ切り燃費走りをしている。
プリウスを先頭にノロノロと行進。ギヤが合わずに変速を繰り返す。
みんなイライラ。チューチュートレイン。
ノロノロ走りでプリウス単体では燃費は良いのだろうが、集団全体で見れば、かえって燃費は悪くなっていると思われる。エコじゃなくてエゴだな。(つづく)
平戸とか、唐津とか~その10 早朝散歩
港の遊歩道を歩いて宿へ帰る。
途中、ヤマザキショップに立ち寄って、ビールとおつまみを購入。
風呂に入ってからビールをプシュ。たまらん。
ビールを飲みながら明日の予定を考える。明日は昼過ぎには帰宅しなければならない。
せっかくなので、以前から行ってみたかった高島へ寄って帰ることにした。
高島へ渡る渡船の時間を調べる。
10時の船に乗ることにして、唐津まで2時間とすると、8時には平戸を出なければならない。
平戸の町も歩いてみたい。明朝5時に起きることにした。寝る。
5時に起床。身支度をして静かに階段を降りる。玄関に鍵はかかっていなかった。
宿の向かいのフェリーターミナルへ行ってみる。待合室には誰もいない。
自販機で暖かいコーヒーを買って、待合室のベンチで飲んだ。
浮き桟橋の先っぽで日の出を待つ。ちょうど太陽が出る所に小島があって、
水平線から昇る朝日は見えなかった。
昨日見かけた小さなヨットが、静かに港を出て行く。
船長はリタイヤしたおじちゃんだろうか。うらやましい、優雅な人達だ。
港の外れにあるオランダ商館へ。
1609年、東インド会社が設置したのが始まりで、1641年に出島に移転するまで、
ここにあったらしい。今あるのは最近復元されたレプリカ。
まだ営業時間外なので内部の見学はできなかった。
有名な老舗ホテルの横を通って山手の方へ。公園の一角にザビエル記念碑があった。
木々に覆われた静かで寂しい場所だった。
フランシスコ・ザビエルは、ここ平戸に滞在、布教活動を行った。
ザビエル記念碑は、ザビエル渡来400年を記念して、昭和24年に建てられたそうだ。
ザビエル記念碑の傍に、鉄筋コンクリート造りの小さな展望台があった。
あまりウェルカムな雰囲気ではないが、立入禁止にはなっていない。登ってみる。
微妙な展望だった。微妙な展望台の写真は撮り忘れた。(つづく)
平戸とか、唐津とか~その9 平戸ちゃんぽん
生月大橋を渡って平戸島に再上陸。生月バスの後に付いて、平戸に向けてのんびり走る。
川内峠(かわちとうげ)への矢印があった。矢印に従って川内峠へ行ってみる。
うねうねと狭い道を登ると、急に視界が開けた。草原の中を進む。
車を止めて展望台へ。こちらも絶景360度。平戸大橋や千里ヶ浜、生月島も見える。
草原には黄色いビロードのようなウマノアシガタが、いっぱい咲いていた。
車に戻って宿へ。草原の道は一瞬で終った。ミニミニやまなみハイウェイだった。
樹林帯の道を下る。
18時には平戸の町に着いた。寄り道した割りには案外早く着いた。
予約していた宿はフェリー乗り場のすぐ前だった。
食堂もいっしょにやっていて、食堂の入り口から2階の部屋へ上るようになっている。
女将に案内されて2階の和室へ。
外観は古いけど、部屋はきれいにリフォームされている。畳もきれい。荷物を解いてちょっと休憩。宿の食堂で食ってもよかったけれど、散歩がてら夕食を取りに出ることにする。
港の最も奥まった所にある、チャンポンで有名な食堂に入った。
まだ時間が早いので、他に客はいない。雰囲気は町の定食屋さん。
壁には加山雄三の色紙が飾られてある。平戸チャンポンを発注。
店の人に「ヨットの人ですか?」と尋ねられた。
オトーサンが、加山雄三のようなヨットマンに見えたのだろうか。
そういえば、店の近くの小さな浮き桟橋にヨットが2杯舫ってあった。
どうも、平戸港はヨットの係留に適した港らしい。
平戸チャンポンが運ばれて来た。野菜がてんこ盛り。スープは魚介系で薄味であっさり系。
野菜が熱々シャキシャキ。野菜に埋もれて麺がなかなか出てこない。
量は多いがあっさりしているのでペロっと完食。ごちそうさまでした。
まいうー石ちゃんの色紙はなかった。(つづく)