平戸とか、唐津とか~その8 サンセットウェイ
平戸島の西海岸を北上。狭い曲がりくねった狭い県道を走る。
小さな集落が点在。平地はほとんどなく、棚田が多い。
生月大橋を渡って生月島(いきつきしま)へ。生月大橋は全長1キロ程の鋼トラス橋。
道の駅「生月大橋」から生月大橋を眺める。カッコいい、きれいな橋だ。
生月町博物館「島の館」に寄ってみた。正面にクジラのモニュメント。クジラは博物館の方を向いているから、お尻はこっちを向いている。お尻を見ながら入館。
無料ゾーンには、図書コーナーとささやかなミュージアムショップ。今回は時間がないので見学しないが、有料ゾーンには捕鯨と隠れキリシタンに関する展示があるようだ。
生月島の西海岸を走る。東シナ海を望む絶景ドライブコース。道路の右側には絶壁が迫っている。ここが日本とは思えない。素晴らしい風景が続く。
15分で西海岸を縦断、生月島の北端、大バエ鼻の駐車場に到着。
絶景コースは残念ながら距離が短い。もう少し走りたかった。
駐車場に車を止めて遊歩道を歩く。崖の上の灯台に着いた。
灯台の上に小さな展望所があって、外階段で自由に登れるようになっている。登ってみる。
正に360度の展望。灯台自体はそんなに高くはないけれど、建っている場所が断崖絶壁の上。
高度感は満点。股間がブルっとする。
早々地上に降りる。今回は見えなかったが、空気が良ければ上五島の島々も見えるだろう。
最果ての原っぱで、しばしボーっとする。
17時になった。予約している宿には18時に着くと伝えてある。そろそろ平戸に行かなければ。
帰りは生月島の東海岸を行くつもりでいたが、絶景ドライブコースをもう一度走りたくなった。
来た道を戻ることする。
日が傾いて、より絶景になっていた。この絶景ドライブコースは、「サンセットウェイ」というらしい。
出来ればここで日没を迎えたかった。(つづく)
WE LOVE KOBE
就航当初、船体に大きく「WE LOVE KOBE」と描かれてました。
来年、泉大津航路に新造船が入るようで、ドミノ式に引退になりそう。

平戸とか、唐津とか~その7 平戸島
御厨から再び国道204号に乗って平戸へ。松浦鉄道線と併走。15分走って平戸口へ到着。
かつてのフェリー乗り場、田平港を通過して、平戸大橋で平戸島に上陸。
橋の袂の平戸公園にちょっと立ち寄って、平戸大橋の写真を撮る。
国道383号に乗り換え、平戸島の東海岸を南下。棚田が多い。
千里ヶ浜の海水浴場を通過。椰子の木なんかが植えてあって南国風。
国道を挟んで山側には、有名な観光ホテルが建っている。
平戸公園から20分ほど走って、宝亀の集落に入った。カトリック宝亀教会へ行く。狭い坂道を登って宝亀教会に着いた。思いのほか立派な駐車場に車を止めて、宝亀教会を見学する。
カトリック宝亀教会は明治31年に建てられた、平戸島で最も古い教会。
茶色の生地に白い漆喰でデコレートされている。カメオのブローチみたいだと思った。
誰もいない。内部を見学させて頂く。内部は撮影禁止なので写真はない。
教会からは、廃校となった宝亀小学校の校庭越しに、きれいな入り江が見える。
宝亀教会は、入り江の奥の山の上にひっそりと建っていた。
紐差(ひもさし)教会へ。紐差にはホームセンターなんかもあって、宝亀より大きな集落だ。
国道沿いに神社があって、その神社の背後に紐差教会が建っている。今の紐差教会は2代目で、昭和4年に建てられたもの。初代の建物は馬渡島に移築されたそうだ。
紐差から山を越えて、平戸島の西海岸へ。グーグルアースで見つけた、きれいな海岸に行ってみる。
根獅子(ねしこ)海水浴場。白い砂浜と青い海。一見沖縄っぽいが、沖縄のビーチとは少し色見が違う。やはり九州の海の色だと思った。まだシーズン前だから、砂浜には誰もいない。
「昇天石」の説明板があった。昇天石とよばれる岩の上で、キリスト教弾圧時代、多くのキリシタンが処刑されたそうだ。砂の中から、小さな岩がいくつか顔を出している。その中のどれが昇天石なのかは、分らなかった。
根獅子の砂浜から、遥か沖を走る野母商船のフェリー「太古」が見えた。(つづく)
平戸とか、唐津とか~その6 フェリーたかしま2

この銅造如来坐像は、弘安の役で沈んだ元の船に、積まれていたものであるらしい。警報装置が設置されている旨の張り紙あり。アラームが鳴り出したりしたら困るので、扉は開けない。

扉越しにお堂の中を覗いてみる。ガラスの反射で良く見えないが、すっきり涼しい顔をしているように見える。江戸時代の末期に、漁師が引き揚げたそうだ。島民を虐殺した元軍が崇めていた仏様を、その島民が大切に守っている。

鷹島を縦断する県道158号線の終点、船唐津に着いた。住所表記は船唐津免。
船唐津は小さな入り江に面した漁村だ。フェリーの時刻まで20分。フェリー発着場が分らない。
比較的新しい浮き桟橋があったけど、小型とはいえフェリーが着岸できる位置にはない。

港をウロウロしていると、コンクリート岸壁に黄色いペンキで「フェリー発着場」と描かれているのを発見。周囲には、待合室もチケット売場も何もない。

半信半疑で待っていると、防波堤を回ってフェリーが近づいて来た。ここで良かったようだ。
ランプを降ろして着岸。ランプの先端で岸壁をちょんと押さえ、軽く前進を駆けている。舫いなどしない。上手い。バックで乗船。乗降したのはオトーサン1人だけ。

車掌バックを下げたイケメンの船員さんに船賃を支払う。狭い港内で器用に転回して港を出た。
「フェリーたかしま2」は全長32メートル、162トンの小さなフェリー。

伊万里湾をのんびりと走る。途中、青島に寄港して、九州本土の御厨港まで行く。
小さな船だけど、湾内なのでほとんど揺れない。

青島港に入港。数台の車と徒歩客が乗船。青島を出ると左手にたくさんの養殖生け簀が見えてきた。生け簀のすぐ傍を減速して航行。海風が冷たくて気持ちいい。



発電所を見ながら御厨港に入港。フェリーを降りる。もう少し乗っていたかった。(つづく)

平戸とか、唐津とか~その5 元寇の島
鷹島肥前大橋を渡ってすぐの所にある、道の駅「鷹ら島」に寄り道して、日比水道と鷹島肥前大橋の写真を撮った。
これから鷹島の西端、船唐津(ふなとうづ)まで走って、船唐津12時50分発の、御厨行きフェリーに乗って本土に戻る予定。まだ1時間と少々ある。鷹島をちょっと観光する。
鷹島は元寇の島だ。文永の役では、鷹島に上陸した元軍が島民を殺戮。生き残った島民は、たった2人だけだったとか。
続く弘安の役では、大宰府に攻め込むべく、鷹島の南に集結していた元の軍船が、暴風のために沈没。生き残った元軍の兵は鷹島に上陸。日本軍による掃討作戦が行われ、鷹島は元寇終焉の地となった。
最近、鷹島沖の海底で元の軍船が発見されたそうだ。
一般的には「神風」のお陰で、元軍を追い払うことができた。と、されているが、文永の役では、元軍の撤退中に暴風が吹き、弘安の役では、日本軍は激しく抵抗、元軍の本土への上陸を阻止し、海上に留めていた時に暴風が吹いている。
日本軍は強かったのである。たまたま風が吹いたから勝てたのではない。
道の駅「鷹ら島」を出て、フェリー乗り場のある船唐津に向けて車を進める。
海中ダムへの矢印があった。海中ダムへ行ってみる。
細く狭い山道を下って行くと、ダム湖の畔に出た。湾口を堰堤で締め切って淡水化したダムだ。
海の中にある訳ではない。堰堤の左側はダム湖、右側は一段下がって漁港になっている。
ダム湖を見る限り極フツーのダムだ。細く狭い山道を上って県道に戻る。
里免(さとめん)にある住吉神社へ行ってみる。アコウの巨木があるそうだ。
鷹島の地名には、最後に必ず「免」が付いている。神崎免とか、原免とか。
エディ・マーフィーみたいだ。・・・Hey men!
県道から離れて狭い道を下る。小さな住吉神社があった。神功皇后縁の神社だった。
社殿の横にアコウの樹がある。九州西岸では北限のアコウらしい。天然記念物に指定されている。境内には他にお化けのようなアコウの樹があった。お化けアコウの方がカッコよかった。(つづく)
平戸とか、唐津とか~その4 浜野浦の棚田
風呂尾呂(何て読むんだろう?)の交差点を左折、国道204号を行く。
道端に、「豊臣秀保陣跡」と書かれたポールが立っていた。名護屋城周辺には、全国から諸大名(と、その軍勢)が集まり、多い時には30万人近くになったそうだ。
豊臣秀保さんは余りメジャーな人ではないが、家康とか清正とか、有名な人の陣跡も一帯にある。
ちなみに、豊臣秀保という人、秀吉の姉の子で後に豊臣秀長(秀吉の弟)の養子となった人。
17歳で変な死に方をしているらしい。文禄の役の頃は、まだ13歳である。合掌。
外津橋を渡って玄海町に入る。玄海原発の前を通過。
玄海原発から5分、浜野浦という集落に着いた。棚田の風景が有名な場所だ。
小さな駐車場に車を止めて見学。眼下に棚田が広がっていて、棚田の先にはターコイズ色の海が見える。西に向かって開けているから、日の沈む時間帯がいいのだろう。写真を撮る。
国道から1段下がった所にウッドテラスが造ってあって、ハート型の御影石に鐘がぶら下っている。恋人の聖地なのだそうで、どうして棚田が恋人の聖地になるのか、オトーサンには分らなかった。
国道204号を快調に進む。山も海もきれいで楽しい。
仮屋という集落に寄り道した。深く入り込んだ入江に沿って、家々が並んでいる。家の前には漁船が舫ってある。行ったことはないけれど、伊根の船屋の集落に似ていると思った。
仮屋の集落から少し走ると、スーパーの隣にジョイフルがあった。ちょっと早いけど昼メシにする。
ジョイフル佐賀玄海店に入店。今日は祭日なので、ランチはやってなかった。ペッパーハンバーグのセットを注文。ジョイフルではペッパーハンバーグばかりを食っている。
ドリンクバーでソフトドリンクを3杯飲んで補給終了。鷹島に向けて車を走らせる。
小保志気(こぼしき)という交差点を右折。STAP細胞のことを思い出した。「ひぜん夢美咲」という道の駅っぽい所から、鷹島肥前大橋が良く見える。全長1,251メートルの斜張橋。
鷹島肥前大橋を渡って鷹島に上陸。鷹島はもう長崎県だ。長崎県に上陸。(つづく)
平戸とか、唐津とか~その3 名護屋城跡
名護屋城跡は桃山天下市から指呼の距離だった。駐車場に車を止めて名護屋城跡を見学する。
清掃協力金100円を支払って入城。
何故か桑田靖子さんのポスターがお出迎え。城内の茶室でコンサートがあるみたい。なつかしい。
オトーサンと同世代で、同じ福岡県出身な桑田靖子さん。デビュー当時は垢抜けない田舎者の少女だったが、ポスターの写真で見る限り、随分とお綺麗になられている。良かった。
大手口を通り直線の緩い坂を上る。思いのほか立派な石垣が残っている。
石垣の角の部分は、意図的に崩されているようだ。
三の丸へ。三の丸は樹木がいっぱいで、まるで森林公園のよう。木漏れ日がきれい。特に地図を見ることもなく、なんとなく歩いていたら本丸に出た。
本丸は広い原っぱで、サッカー場が2面くらい取れそうだ。
東北の隅っこに一段高くなっている場所がある。サッカー場を突っ切って行ってみる。
高くなっている所は天守台だった。この上に5層7階の天守があったそうだ。名護屋城に天守があったとは知らなかった。名護屋城は朝鮮出兵の前線基地だ。こんな立派な城は要らないだろうに、巨大天守まで造ったとは。秀吉さんは何を考えていたのだろう。
天守台からの眺望は最高。正面に馬渡島(まだらじま)、北側には松島と加唐島(かからじま)、東側にはさっき渡った呼子大橋と加部島を望む。
西側に目をやると、玄海原子力発電所の建屋がチラッと見える。
天気は最高。気持ちいい。ここで弁当を食いたかったな。
本丸の一角に、「太閤が睨みし海の霞かな」と刻まれた句碑があった。どっかで聞いたことがある。どこで聞いたのか思い出せない。何かのCMだったと思う。
帰りは二の丸、弾正丸(だんじょうまる)、搦手口を経由する。弾正丸には浄水場があった。
頭の中で「荒城の月」が鳴り出した。
石垣から崩れた石がゴロゴロ転がっている、ロックガーデンみたいな所を通って大手口に戻った。所要時間は1時間ほど。全部は見ていない。
名護屋城跡に隣接して、佐賀県立名護屋城博物館がある。名護屋城博物館は無料。
行ってみたかったが、ちょっと時間が足りない。又の機会にする。(つづく)
平戸とか、唐津とか~その2 加部島に渡ってみる
呼子大橋を渡って加部島に上陸。田島神社へ行ってみる。
田島神社は、小さな漁港の入り口にある岬の上に鎮座。祭神は宗像三姉妹。
肥前で最も古い神社だとか。 そういえば、宗像大社(辺津宮)の住所は「田島」だ。偶然の一致なのかな。正面の石段を上ると、立派な楼門がある。楼門を潜って振り返ると、楼門の額縁の中を、小さな漁船が横切って行った。
佐與姫神社(さよひめじんじゃ)という摂社を見学。
佐與姫伝説。新羅に出征する恋人と離れたくない佐與姫は、恋人の乗る船を追って、加部島までやって来た。田島神社で7日7晩泣き続けて石になったそうだ。
再び呼子大橋を渡り本土へ戻る。深い入江を名護屋大橋で渡ると、道の駅があった。
食料を調達するため、道の駅、「桃山天下市」に立ち寄る。おみやげ御菓子、農産物、海産物などなど。まあ普通な道の駅。
その中に「いのち長だご」という団子があった。なんか旨そうだ。お値段も390円と手頃。
「豊臣秀吉も食べたのか?」という、パッケージの文言が気に入った。
とっても買ってみたかったが、1パックに大きな団子が5個も入っている。さすがに5個は食い切れない。今日は天気も良いし、気温も高い。車の中に置いておいたら悪くなりそうだ。諦める。
残念ながら、おにぎりや弁当の類はなかった。仕方なく、おつとめ品のチーズ入り竹輪を購入して、ペットボトルのお茶で流し込む。補給終了。いよいよ名護屋城跡へ行く。(つづく)
平戸とか、唐津とか~その1 平戸に行くことにした
急に休みが取れた。と言っても正味1日半。近場で何処かと考えて、平戸に行くことにした。途中、名護屋城跡と鷹島に寄る。生月島にも足を延ばしたい。まだ真っ暗な早朝に自家用車で出発。
早朝なので都市高速には乗らない。下道で福岡市街を通過。
国道202号線バイパスをトコトコ走って、7時には唐津市街を通過。
いい天気だ。五月晴れ。黄緑色の新緑が嬉しくなるほどきれい。
唐津から国道204号線に乗り換えて、7時30分、呼子に到着。
公共の駐車場に車を止めて、呼子の町をちょっと散策。
港にはジーラとイカ丸が泊まっている。ジーラは半潜水の海中展望船。
イカ丸は、七ツ釜の洞窟観光船。
朝市会場へ。ばあちゃん達が道端で海産物などを売っている。
朝メシを食ってない。ちょっとツマめそうなものはないかと物色するも、目ぼしいものは見当たらず。
イカの干したヤツとか、どの店も一律値段みたいで、決して安くはない。
港に戻る。多くのイカ漁船に混じって、小川島行きの連絡船が泊まっていた。
町外れの愛宕神社を見学して車に戻る。(つづく)
みあれ祭
みあれ祭とは、秋季大祭を三姉妹そろって過ごすため、普段は沖ノ島に座す田心姫、大島に座す湍津姫を、辺津宮(宗像大社)に座す市杵島姫が海上で出迎える神事。でいいだろうか。
3隻の御座船を、周辺漁港の漁船団がエスコートして、神湊(こうのみなと)まで海上をパレードする。一度、生で見てみたかった。

神湊の防波堤に陣取る。地島行きの連絡船が、白波を立てて出て行った。
天気晴天なれども波高し。彼方の水平線に船団が見える。

大島連絡船も大揺れで入港。

鐘崎沖から船団が近づいて来た。みな大漁旗を掲げている。高級そうな漁船が多い。

2隻の御座船は確認できたが、3隻目がどれか分らない。

乗っている神官さん達は大変だろうが、波が高いので迫力がある。

大島からのフェリーもやって来た。

漁船団が御座船の周りを回る。お賽銭を投げ込んでいるらしい。

御座船を周回すると、とっととそれぞれの港へ帰って行く。

三姉妹上陸。田心姫を先頭に辺津宮まで神幸。三姉妹はこの後、車に乗り換えたみたい。

ここまで見学してタイムアウト。神湊を後にした。