山陽道防長路をゆく~その1 鋳銭司郷土館と黒山八幡宮
所用で広島へ行く。
どーせなので岩国に前泊することにして、道中遊びながら行くことにした。
梅雨の末期、大雨洪水警報の出る中、関門橋を渡り、小月インターから国道2号線を東へ。
雨の2号線は案外とスムーズに流れる。
小月インターから1時間ほどで、山口市郊外の鋳銭司 (すぜんじ)地区に到着。
平安時代に造幣局(鋳銭司)があった所。
下関、美祢周辺(長登銅山)、遠くは香春岳周辺から鉱石が運ばれ、ここで銅銭が作られた。
積水ハウス工場の近くに周防鋳銭司遺跡があるらしい。
今はだだの原っぱのようだし、こんな天気なので行かない。
長沢池の畔にある鋳銭司郷土館へ行ってみる。
長沢池は周囲約6キロ、江戸時代に造られた灌漑用の人工池。国道2号線がすぐ横を走る。
国道沿いに「長沢ガーデン」というコアでレトロなドライブインがある。
この辺りを通る時は、いつも休憩に利用させてもらっている。
入館料100円 を払って鋳銭司資料館に入館。
半分は和同開珎などの貨幣に関する展示、半分は大村益次郎の資料館となっている。
あまり期待していなかったけれど100円とは思えない充実した内容だった。
穴場のお勧め資料館である。
周防の前には長門に鋳銭司が置かれていたらしく、長府で和同開珎が鋳られていたらしい。
鋳銭司郷土館の隣に大村神社があった。大村益次郎を奉る神社らしい。
大村益次郎とは何をした人だろう。
靖国神社に銅像が建っているのは知っているが、何をした人なのかイマイチ良く知らない。
大村益次郎は鋳銭司村出身の村医者の息子。
日田の咸宜園(かんぎえん)、大阪の適塾などで蘭学を学び、後には軍師として長州藩士となる。
第二次長州戦争、戊辰戦争でその才能を発揮。
維新後は新政府の軍制改革を行うも、これを良しとしない元長州藩士に襲撃され命を落とす。
帝国陸軍の基礎を作ったのは大村益次郎である。
また、東京招魂社(後の靖国神社)の創建に尽力。
靖国神社に大村益次郎の銅像が立っている理由が分った。
国道2号線を後戻りして黒山八幡宮へ。道はちょっと分りにくい。
黒山八幡宮は鋳銭司小学校のすぐ隣にあった。
ゆるやかに登る参道の突き当たり、数段登って鳥居を潜る。
本殿は石垣の上に鎮座。現在の祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、三女神。
現地説明版によると、816年に創建された神社で当初は黒山神を奉っていたらしい。
黒山神とは鋳造に関係する神様とか。中世に宇佐から八幡神を勧請。
鋳銭司に鋳銭司が置かれたのが820年前後だから、年代的には一致する。
拝殿の上に楼門が乗っかっている。
楼拝殿造りという山口地方独特の建築様式だ。 江戸時代初期に再建されたものらしい。
なかなかカッコいい。印象に残る神社だった。
知床連山

この木道を通って知床五湖の畔まで行くらしい。オトーサンが行った20数年前は、普通に地面を歩いて知床五湖まで行けたけど、今はクマ対策でこうなってるらしい。
ヤバい、オトーサンも行きたくなってきた。 (無断掲載スミマセン)
Kちゃんと、ちょっと大阪~その16 本当は豚まん食いたかった
第2ターミナルへのシャトルバスは、エアロプラザから発着する。
エアロプラザは関西空港駅を挟んで第1ターミナルの反対側にある。
3階まではテナント、4階から上はホテルの客室になっている。
ついでなのでエアロプラザも見学、どの店もガラガラ、空き店舗も多い。
唯一客が入っていたのは、牛丼の「松屋」だった。
1階に降りてシャトルバスに乗る。
第2ターミナルはB滑走路島にあって、シャトルバスは、
A滑走路島とB滑走路島の間を繋ぐ、狭い土橋の部分を走る。
運が良ければ、誘導路をタクシーする飛行機と併走できるかも。
エアロプラザから約5分、第2ターミナルへ着いた。
シャトルバスは日中は6分間隔で運行しているらしい。
ピーチのA320は180人乗せるから、仮に全員をシャトルバスで捌くとしたら、
4~5台くらいは必要だろう。
下手をすると、到着後シャトルバスに乗るまで、かなりの時間待たされる可能性がある。
到着には使いたくないターミナルだ。
自動受付機でチェックイン。みやげ物屋を覗いてみる。
赤福餅は売り切れ、第1ターミナルで買っておくべきだった。
高山堂の神戸きんつばを購入、ザックに詰め込む。
18時半、搭乗待合室に入る。
ロビーはガラガラだったけど、搭乗待合室は人でいっぱい。
福岡便と沖縄便の乗客がダブっている。
特にすることもないので、みやげ物屋を冷やかす。
Kちゃんはタブレットでお仕事。
みやげ物屋はピーチが運営しているようだ、赤福餅は置いてなかった。
搭乗開始、後方座席の乗客から先に搭乗口に案内される。
オトーサンの席は8A、後から搭乗。
タラップを登って機内へ。
タラップも簡易なヤツで、トラックが階段を背負っているタイプではなかった。
ドアクローズ、ほぼ満席。
J4誘導路をタクシーしてA滑走路へ移動。
第2ターミナルからはB滑走路の方が近いのだが、
B滑走路は原則着陸に使用する決まりらしいから、 わざわざ遠いA滑走路まで走るのだろう。
RW06Rを離陸、青い誘導路灯がきれいだ。
左にターン、明石海峡大橋の上を通過。
関空を離陸する頃には、雨こそ降っていなかったが、
まず地上は見えないフライトになるだろうと予想していた。
西に進むにつれ雲は晴れて、案外地上が良く見える。
どこかの席で551蓬莱の豚まん(関空にも支店があった!)を開けているのだろう、
若い女子の笑い声と豚まん臭が狭い機内に充満する。
カッコ悪い・・・コドモだ。
わずかな水平飛行の後、すぐに降下が始まる。
耳の調子がおかしくて、降下するにつれ音が遠くなっていく。
夢の中にいるようだ。
関門海峡と北九州空港の空港灯台が見えた(ような気がする)。
福岡空港RW16に着陸、今回は左側の席だったので、名島辺りの夜景がきれいに見えた。
じゃあまた!とKちゃんと別れて、自宅に帰り着いたのは23時少し前。
さて、次はどこに行こう。(おわり)
食いかけですみません m(__)m
Kちゃんと、ちょっと大阪~その15 難波から関空へ
14時45分発の和歌山行き特急に乗車。
やはりKちゃんは、難波駅の551蓬莱も素通りした。
カッコいい・・・大人だ。
泉佐野で関空行きの急行に乗り換え、15時半には関空に着いてしまった。
帰りは19時45分のピーチ便、まだ4時間以上ある。
第1ターミナルへ。
Kちゃんは今回が初めての関空利用らしく、いろいろと見て回る。
今度、関空経由で千歳へ行こうと思っているらしい。
関空乗り継ぎの下見に付き合う。
スカイビューという展望所へに行ってみる。
第1ターミナルから無料シャトルバスに乗って5分ほど、A滑走路の北端にある建物に着いた。
建物の中にはレストランやミュージアム、飛行機グッズ売り場などがあって、
屋上が展望デッキになっている。
屋上に上がってみると、誘導路の真正面、遮るものはないけど少々遠い。
オークランドからのニュージーランド航空機が着陸。
小雨が降っている・・・早々室内に戻った。
飛行機を眺めながらぼ~っとするには良いかも。
飛行機グッズ売り場が一番面白かった。
第1ターミナルへ帰って来た。
時刻は17時。
Kちゃんは今日もお好み焼きなど食ったそうだが、オトーサンは100円マックしか食ってない。
家に帰り着くのは23時近くになるだろうから、ここで夕飯を済ませたい。
食堂街の回転寿司屋に入った。
全く客がいなかったので、やっているのかと店員に尋ねると、
機械の調子が悪くて止めていたがすぐに再開するとの事。
営業再開直前に入店したようだ。
タッチパネル方式で注文、注文した品は特急レーンで運ばれて来る。
Kちゃんはお茶ばかり飲んでいたが、オトーサンは日本酒を注文。
残念だけど昨夜十三で食った寿司の方が旨かった。
寿司を6皿と味噌汁、日本酒が効いて会計は1500円近くになった。
18時になったので、そろそろ第2ターミナルへ移動する。(つづく)
Kちゃんと、ちょっと大阪~その14 交通科学博物館
マクドで雨宿りをしながら考える・・・さて、これからどうしよう。
これから四天王寺、安居神社、天王寺公園などを見学しながら、
天王寺駅まで歩く心算だったが、この雨では無理。
雨が降っても大丈夫な所 ・・・梅田や心斎橋に行ってもつまらないし・・・。
ホテルでもらった観光パンフレットを見る。
弁天町の交通科学博物館に行ってみることにした。
地下鉄の路線図を見ると、四天王寺夕陽ヶ丘から谷町四丁目まで戻り、
谷町四丁目で中央線に乗り換えれば良いようだ・・・ちょっと遠い。
Kちゃんとは15時に難波駅で待ち合わせしている。
交通科学博物館の滞在時間は1時間もないだろうが、ここでぼ~っと過ごすよりマシだ。
四天王寺前夕陽ヶ丘駅から地下鉄に乗って、弁天町駅で降りる。
雨は相変わらず本気で降っている。
なるべく屋根のある場所を歩いて、交通科学博物館の入り口に着いた。
地下鉄の1日乗車券を提示、2割引の320円で入場。
こんな天気なので、みんな行く所がないのだろう、小さな子供連れファミリーが非常に多い。
鉄道がメインだが、飛行機、自動車、船の模型なども展示されている。
スバルのてんとう虫やミゼットが懐かしい。
カラス型飛行器も展示されていた。
少し小降りになったので、屋外展示場へ行ってみる。
実物の鉄道車両が展示されている。
80系湘南電車は子供の頃一度乗ったことがある。
81系ディーゼルカーは絵本で見たヤツ、実物を見るのは初めて。
国鉄ハイウェイバスは、小学校の国語の教科書に載っていたなぁ。
40分ほど見学して弁天町駅に戻った。
本町で御堂筋線に乗り換えて、14時40分に南海難波駅に着いた。
やあやあとKちゃんと合流。(つづく)
※交通科学博物館は、平成26年4月6日をもって閉館したそうです。
鶴岡八幡宮
三大八幡の1つ、鶴岡八幡宮でやんす。
静御前がしづしづと舞を舞った舞殿の背後に、今は無き公暁の大銀杏が見える。
小町通りで鳩サブレを買って、江ノ電に乗って大仏と紫陽花見学、江ノ島でしらす丼食いたいな。
Kちゃんと、ちょっと大阪~その13 上町台地を南下
生國魂神社の参道脇に「川崎孫四郎自刃の地」と刻まれた石碑が建っていた。

川崎孫四郎とは水戸の藩士で、桜田門外の変に連動して、
大阪でも挙兵しようと企てるも失敗。
幕府方に追われ、この地で自刃、今は靖国神社に奉られているらしい。
生國魂神社前の道を南へ進む。道の両側に寺院が連なっている。
お寺だらけ。

銀山寺の前に「源聖寺坂」と看板がある。
生玉神社の「崖縁」から連なる、上町台地の西の縁(へり)にあたる。
大寶寺(だいほうじ)という、赤い塀の寺がある。
新撰組の宿舎になった寺だとか。

夕陽ヶ丘学園高校に突き当たった。
上町台地の西の縁だから、夕陽ヶ丘なのだろうと勝手に納得する。
中村雅俊のドラマに出てきそうな名前の高校だ。
夕陽ヶ丘学園高校を左に曲がると、片側3車線の大通り、谷町筋に出た。
こちらもお寺だらけ。

対岸に白と黒のギザギザ模様の塀が見える。
どっかで見たことがある模様だ。
調べてみると、吉祥寺(きっしょうじ)という寺で、
ここで赤穂四十七士の葬儀が行われたらしい。
ギザギザ模様は赤穂浪士の羽織の模様だった。
境内に四十七士の墓もあるそう、浅野家の大阪の菩提寺。

討ち入り後切腹したのは46人で、寺坂吉右衛門という人は切腹を免れている。
吉右衛門は討ち入り後一行から離れ、後に仏門に入った。
吉右衛門は大石内蔵助の命により、46人の菩提を弔うため生き残ったらしい。
吉祥寺に四十七士(四十六士?)の墓を建てたのも吉右衛門である。

ほんの数百メートル歩いただけなのに、非常に内容が濃い。
さすが大阪上町台地である。
四天王寺夕陽ヶ丘の駅前まで来た時、とうとう雨が降り出してしまった。
かなり本気な雨である。

たまたまあったマクドに逃げ込む。
100円のハンバーガーとコーヒーで昼メシとする。(つづく)
Kちゃんと、ちょっと大阪~その12 いくたまさんへ行く
これから大阪市内に戻って寺社巡りをする予定だった。
やって来た普通電車に乗る。
カエルみたいな電車だった。
傘は途中で買うにしても、雨の中歩き回るのは億劫だ。
どうしようか・・・。
普通電車は御殿山(ごてんやま)という駅に止まった。
駅名に惹かれて降りてみた。
駅の周囲はゴチャゴチャした住宅地で、特に目を引くようなものはなかった。
通過する電車を流し撮りして遊ぶ。
雨は降っていないのだが、夕方のように暗くなって不気味。
枚方駅で特急に乗り換えて大阪市内へ。
天満橋駅で降りて地上に出ると、目の前の大川を水陸両用バスが航行していた。
天気はやや回復、とりあえず予定通り寺社巡りを始める。
天満橋から地下鉄谷町線に乗って谷町九丁目で下車。
交差点を西へ。
ホテル街を抜けると、生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)に当たった。
神武東征の際にイワレビコ(神武天皇)が石山崎に生島大神・足島大神を奉ったのが始まり。
石山合戦により焼失、大阪城築城の際、秀吉によりこの地に遷座。
夏の陣でも焼失して、秀忠により再建。
神紋は三つ巴と橘。
どこかで見たような気がすると思ったら、橘は石清水と同じ紋だった。
社殿はコンクリート造りで萌えない。
生玉神社には境内社が11もある。
境内社巡りをする・・・ 天満宮、住吉社、精鎮社、皇大神宮(こうたいじんぐう)、
源九郎稲荷神社、稲荷神社、鴫野(しぎの)神社、城方向(きたむき)八幡社、
鞴(ふいご)神社、家造祖(やづくりみおや)神社、浄瑠璃神社。
鴫野神社は大阪城時代の淀殿が篤く信仰していた神社で、
淀殿の没後は淀殿も神様として奉られた。
女性の守り神として縁結び、悪縁切りに御利益があるそうだ。
鴫野神社の横に「崖縁占」と看板を揚げたプレハブ小屋があって、中におばさんが座っている。
境内の外れの崖っぷちに建っている小屋の中で、
人生の崖っぷちに立たされた人なんかが、占いを受けるのだろうか。
なかなか面白い趣向だ。(つづく)
Kちゃんと、ちょっと大阪~その11 二宮忠八資料館
男山から下りて八幡市街地を徘徊。
放生川を渡り飛行神社へ行く。どうも神社の場所が分らない。自転車のおばちゃんに尋ねると、ざっくりと「駅の近く」と、答えてくれた。
駅の方角へ歩いて行くと飛行神社はあった。「飛行神社」と看板が出ているからそれ分るが、看板がなければちょっと変わった趣味の金持ち個人宅にしか見えない。
ジュラルミン製鳥居を潜って境内へ入る。ギリシャ神殿のような拝殿と、その奥に本殿がある。本殿はまあ普通の造り。 境内にはジェット戦闘機のエンジンや、大阪湾から引き揚げられたゼロ戦のエンジンなどが鎮座。ちょっと靖国っぽい。ギリシャ神殿風拝殿の隣には社務所兼資料館がある。
飛行神社の祭神は饒速日(にぎはやひ)、交野(かたの)の磐船神社から勧請されたようだ。配神に航空殉職者諸神、薬祖神。神紋はカラス。
CAと思しきお姉さんが一心に絵馬を書いていた。やはり航空関係者の参拝が多いようだ。
飛行神社を創建したのは二宮忠八という人。愛媛県八幡浜の出身。
明治24年、カラス型飛行器というゴム動力模型の飛行に成功。更に、有人動力飛行を成功させるべく陸軍に上申するも受け入れられず、独力で飛ばすことを決心。資金確保のため大阪の製薬会社で働く傍ら、故郷と同じ地名「八幡」の地で研究を続けた。
ところが、明治36年にライト兄弟が先に有人動力飛行に成功してしまう。失意の忠八は飛行機開発を断念。その後、飛行機は実用となり、飛行機による犠牲者も増えていく。看過できなかった忠八は、大正4年、私財を投じて飛行神社を創建、自ら神職となった。
ポツポツと雨が降ってきた。雨宿りを兼ねて二宮忠八資料館に入ってみる。忠八自筆の書類、カラス型ゴム動力飛行器、玉虫型飛行器の模型、航空自衛隊が奉納した飛行機の部品、数多の飛行機プラモデルなどた展示されていた。
ゴム動力模型のモデルはカラスだけど、有人動力飛行では虫になってるし・・・。入館料300円はちょっと高いかな。
ふと思いついて小さな御守りを1つ購入。外に出ると、まあ傘がなくても歩ける程度になっていた。
八幡市駅に戻る。駅前に朝日屋という店があった。看板には寿司と書いてあるが、うどんや丼物もやっているようだ。店先ではおでんも煮えている。美味しそうだったけれど、まだ11時。腹も減っていないし、次回持ち越しにする。(つづく)
Kちゃんと、ちょっと大阪~その10 石清水八幡宮

森の中の寂しい道を登って行く。しばらくすると、表参道に合流。急に人が多くなった。

総門を潜ると正面に本殿。真正面ではなく、すこし軸がズレている。

拝殿に向かい二礼二拍手一礼する。宇佐は四拍手だが、ここは一般的な二拍手でいいみたい。
これで日本三大八幡(宇佐、石清水、筥崎or鶴岡)を制覇?したことになる。 とりあえず良かった。

欄間の彫刻は左甚五郎の作と云われるが、 日光東照宮で見たヤツとはちょっと作風が違うような気がする。甚五郎さんはいっぱい居たのだろう。
オトーサンがお参りを終える頃から、空はにわかに掻き曇り、今にも降り出しそうになってきた。八幡様は怒っているようだ。お賽銭が少な過ぎたのだろうか。

まだまだ見たい所はあったのだが、傘は持っていない。駅までは相当な距離がある。急いで山を下りる。天気の良い日に再訪しよう。

三の鳥居を潜って表参道をぐんぐん下る。寒冷前線が通過したのだろう。突風が吹いて空が真っ黒になった。気温も急激に下がってきた。足早に石段を下る。

石段の途中に「松花堂およびその跡」と刻まれた石碑がある。松花堂弁当の松花堂だろうか。不勉強で分らない。
最後につづら折れの石段を下って地表に着いた。ここまで来れば、たとえ降り出しても、何処かで雨宿りつつ駅まで戻れるだろう。

石段を下りきった所に相槌神社という小さな社があった。(つづく)
Kちゃんと、ちょっと大阪~その9 男山へ
淀屋橋駅から京阪電車に乗って石清水八幡宮に行く。
京阪淀屋橋ビルの中に「松屋」があった。仕方なく?朝から牛丼にする。並280円也。
京阪淀屋橋ビルを通り抜けると、目の前に古い木造の建物があった。緒方洪庵の私塾「適塾」だ。大村益次郎や福沢諭吉がここで蘭学を学んでいる。
地下に潜って京阪淀屋橋駅へ。9時20分発の特急に乗ることにする。切符を買ってホームに入ると、カメラを抱えた人達が右往左往していた。9時20分の特急は今日で引退する車両のようだ。
大勢の鉄な人達が、狭いホーム上を走り回っている。気持ちは分るが騒がしいし、何より危険だ。他の利用者のことは考えないのだろうか。
淀屋橋は始発駅なので、窓際の席を難なく確保できた。定刻に発車。
北浜駅を過ぎると地上に出る。昨日行った大阪城が車窓からチラっと見えた。
電車は東へ進む。だんだん空が明るくなってきた。案外雨は降らないかもしれない。希望的観測である。
関西の私鉄はみんなそうだが、京阪の特急車も大変乗り心地が良い。これで特急料金は不要。
八幡市まで360円、京都まで行っても460円である。
樟葉(くずは)で普通列車に乗り換えて、淀屋橋から40分で八幡市(やわたし)駅に着いた。
駅前から石清水八幡宮が鎮座する男山々上まで、ケーブルカーが通っている。 登りはケーブルカーを利用する。ケーブルカーは京阪の特急電車と同じカラーリング。男山ケーブルも京阪電鉄が運営しているようだ。
ケーブルカーは次第に高度を上げて行く。展望は良いのだが、空は真っ白。黄砂なのか大気汚染物質なのか、見通しが全く利かない。3分で山上駅に到着。
展望台に登ってみるが、当然だが、こちらも見通しは利かない。対岸の大山崎、天王山が見えるはずなのだが、白く霞んで見えない。
展望台の茶屋のおやじが話しかけてくる。おやじは、佐賀だったか、九州の出身だそうだ。佐賀のおやじが、どうなって男山の茶屋のおやじになったのか、ちょっと気になった。(つづく)
Kちゃんと、ちょっと大阪~その8 淀屋橋を渡って中之島
Kちゃんとは8時にロビーで待ち合わせ。それまで部屋でぼーっと過ごす。

8時少し前にロビーへ降りて、備え付けのパソコンで天気予報をもう一度確認。やはり雨の予報。
Kちゃんと落ち合い、西中島南方駅まで歩く。Kちゃんは夕べあれから「キタ」に出撃しようかと思ったそうだ。元気があって羨ましい。オトーサンはもうダメである。

今日は夕方まで別行動。オトーサンは寺社巡り。Kちゃんはカメラ屋とB級グルメ巡り。
西中島南方駅で1日乗車券を購入、梅田に移動。梅田で新しくなった大阪駅を少し見物した後、Kちゃんと別れる。

再び御堂筋線に乗って移動。淀屋橋で下車。
御堂筋線の梅田~心斎橋間は銀座線の6年後、昭和8年に開通。

大きな断面のトンネルの中に、上下線の線路と広いホームがある。アーチの中だからホーム上に柱がなく、見通しが利いてすっきりしている。最近の地下鉄駅は柱だらけで、こんな造りではない。歴史を感じる。淀屋橋で下車。

地上に出て土佐堀川を渡る。この橋が淀屋橋。昭和10年製の重厚なコンクリートアーチ橋。

淀屋橋を渡ると中之島。左手に日銀大阪支店が見える。大阪市役所前を東へ。辰野金吾設計の大阪市中央公会堂をちょっとだけ見学。赤レンガのきれいな建築だが、曇天で映えない。

栴檀木橋(せんだんのきばし)を渡り、淀屋橋駅へ戻る。(つづく)
Kちゃんと、ちょっと大阪~その7 しょんべん横丁
19時半にロビーに集合。オトーサンの提案で、十三(じゅうそう)のしょんべん横丁を視察に行く。
十三までは南方駅から阪急京都線で1駅。南方駅は上下線の改札が別々で、知らないで京都方面行きの改札を通ってしまった。駅員に説明して出してもらう。
踏切を渡って梅田方面行きのホームへ再入場。茶色い電車に乗って十三駅に到着。
十三駅は乗り換えでは何度も利用しているが、外に出るのは初めてだ。 レトロな感じの十三駅西口を出ると、右側にすぐにそれと分る路地があった。
薄暗い小路に蛍光灯の電飾看板。いい感じ。串かつ、ホルモン、寿司、中華、沖縄料理…いろんな店がある。次はここで飲みたいな。
派手なネオンの栄町商店街に行ってみる。後から知ったのだが、栄町は大阪では有名な風俗街。表通りしか歩かなかったので、危険な感じはなかった。
十三の街を2周ほど歩いて、十三フレンドリー商店街の中にある、とある寿司屋に入った。 寿司で〆る。回転はしないが、1皿126円の激安寿司屋だ。
にぎり8貫に赤だしが付いて630円のセットを注文。下手な回転寿司より旨かった。
十三の駅前に喜八洲総本舗(きやすそうほんぽ)という菓子屋がある。みたらし団子が有名。食べてみたかったけれど、5本入りしか売っていない。5本は食いきれない。今買って家まで持って帰る訳にもいかない。諦める。
駅の真ん前の角っこにあったたい焼き屋で、オトーサンのみ、たい焼きを1個買った。阪急電車に乗って南方へ戻る。
もしかしてと思ってSUGOCAをタッチしてみたが、弾かれてしまった。まだ関西の私鉄系とは相互利用できないようだ。(H25.3.23より使用可能)
ホテルに帰って解散。シャワーを浴び、備え付けの抹茶を入れて、十三で買ったたい焼きを頂く。表面はしっかり焼けていて、まだパリパリしている。尻尾の先まで餡子が詰まっていて、なかなか美味しい。
ベットの上に寝転がってアド街を見る。大江アナはアド街も3月で卒業するんだろうなぁ、などと考えながらウトウト。昨夜はあまり眠れなかった。早めに眠ることにする。(つづく)
※平成26年3月7日早朝、しょんべん横丁で火災が発生、36店舗が焼失したそうです。