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エアアジアで行った名古屋の旅~その20 桃太郎神社への道

犬山駅から本日最大の難所、桃太郎神社へ向かう。桃太郎神社までは歩いて行ける距離ではない。通常なら自家用車かタクシー利用だろう。タクシー利用はオトーサン的にNG。

公共交通機関はないと思っていたが、コミュニティバスが走っているらしいことを発見。桃太郎神社へ行くには、栗栖行きのコミュニティバスに乗れば良いことも分かった。

栗栖行きコミュニティバスは、火・木・金曜日のみ運行で、1日4便しかない。実は、この2日間の予定は全て、このコミュニティバスの時刻表に支配されている。

モンキー薬局

発車時刻は12時7分。まだ時間がある。西口に出てみる。モンキー薬局の看板が怖い。

コンコースに観光案内所があった。犬山のマップをゲットするついでに、桃太郎神社までの交通機関を尋ねてみた。タクシーか、徒歩で1時間半という回答。

明治村行きバス停

コミュニティバス乗り場のある東口へ行く。噴水のあるロータリーがあって、右手にマンション、左手にはイトーヨーカドーがある。予想外の風景だ。明治村行きのバス停があるが、オトーサンには関係ない。

イトーヨーカドー

ロータリーの隅っこのコミュニティバス乗り場へ行く。バス停には誰もいない。時刻表には確かに「12時7分栗栖行き」と書かれている。しばらくバス停で待っていると、イトーヨーカドーから買い物袋を抱えたおばちゃん達が出て来て、バス停のベンチに座った。

時刻を過ぎても栗栖行きコミュニティバスはやって来ない。だんだん不安になる。10分経過。まだ来ない。おばちゃん達の話に耳をそばだてる。今日は遅いねぇ~的な会話をしている。少し安堵。

豌豆緑色

20分経過。もうバスは来ないのだろうと半ば諦め、代替コースを考える。もう立ち去ろうとしたその時、豌豆緑色のマイクロバスが来た。おばちゃん達と一緒に乗車。結局25分近く遅れて発車した。

火・木・金曜日のみ

コミュニティバスの車内は狭い。幼稚園バスみたいなシート。乗車時間は僅か。
運転手さんに200円を払ってきっぷを貰う。モンキーパークの横を抜け、狭い坂道を下ると木曽川の河畔に出た。木曽川に沿って少し遡ると桃太郎神社が右手に見えた。

犬山市野外活動センター 
対岸は岐阜県

コミュニティバスは桃太郎神社前には停車しない。400メートルほど通り過ぎ、犬山市野外活動センター前に停車。おばちゃん達に挨拶してバスを降りる。(つづく)


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エアアジアで行った名古屋の旅~その19 一宮から犬山へ移動

名鉄一宮駅に戻って来た。10時45分発の普通電車に乗る。東海道線を走る貨物列車と併走。

JR一宮駅  

新木曽川という駅で後発の急行に乗り換え。茶色いトラス橋で木曽川を渡る。

EF64-1000 
新木曽川駅 
木曽川を渡る

東海道新幹線をアンダーパスして名鉄岐阜に到着。ここで各務ヶ原線に乗り換え。各務ヶ原線の発車まで少し時間があったので、改札を通って駅の外に出てみる。駅前は思っていたより近代的。

名鉄岐阜駅前

ここから北に2キロほどの所を長良川が流れている。金華山にも行ってみたかったが、今回は津島神社の方を選んだ。駅に戻る。

各務ヶ原線の電車も真っ赤。名鉄の電車は一部を除いてほぼ赤だ。

赤い電車たち

11時15分発の犬山行きに乗車。2両編成。運転席の後にかぶり付く。名鉄の電車は独特のデザインで総じて古い電車に見える。この2両編成の電車も外見は古っぽく見えるが、ワンハンドルで回生ブレーキ付き。そこそこ新しいのだ。

運転席を覗く。ブレーキをかけると電流計がマイナスに振れる。停止直前に回生ブレーキが失効して電流計が0になる。なかなか面白い。

運転席

左手に金華山と岐阜城がちょっとだけ見えた。

新那加までは各駅停車。チマチマと停まって行く。駅間は短い。

手力(てぢから)という小駅に停車。もしやと調べてみたら近くに手力雄神社があった。手力雄命は(ダヂカラオノミコト)天岩戸からアマテラスを引きずり出した神様だ。

かぶり付き

電車は各務ヶ原市(かがみがはらし)に入る。各務ヶ原の地名は、古代この辺りに鏡作部(かがみつくりべ)という金属加工集団がいたことに因む。右手には航空自衛隊岐阜基地があるはずだが、車窓からは飛行場は見えない。

犬山橋 
犬山駅

JR高山本線との接続駅、新鵜沼に停車。新鵜沼を出るとすぐに犬山橋で木曽川を渡る。11時45分、犬山駅に着いた。岐阜県内は通過しただけ。(つづく)


エアアジアで行った名古屋の旅~その18 尾張国一ノ宮

津島駅に戻って来た。9時28分発の尾西線電車に乗る。たった2両のローカル電車。尾西線に入ると単線になった。田園地帯の中をコトコト走る。

尾西線電車

ライダー時代、関が原を抜けて揖斐川、木曽川を渡り、多分この辺りを通って名古屋に入っている。何も記録していないので、何処をどう走ったか全く分らない。そんな事を考えながら車窓を眺める。

絵に描いたようなローカル線

尾張一宮に近づくとだんだん乗客が増えてきた。お馴染みの外国人のカップルが乗り込んできた。大声で煩い。

津島から30分、名鉄一宮に到着。JR東海道線の尾張一宮駅と隣接。と言うか同じ駅。

一宮駅

大きな駅だけれど、駅前に人影は疎ら。駅名の通り、真清田神社(ますみだじんじゃ)という尾張国一の宮の最寄り駅。

アーケード街を通って真清田神社へ行く。このアーケードが真清田神社の参道になる。頑張ってはいるが、人気は少ない。シャッターを閉ざしたままの店も多い。

本町通りアーケード 
シャッター通り

名鉄一宮駅から10分、アーケードの突き当たりに真清田神社があった。鳥居の前に社会科見学中?の小学生が体育座り中。

真清田神社

尾張国一宮、真清田神社。祭神は天火明命(アメノホアカリ)。天火明命とは尾張氏の祖で、饒速日(にぎはやひ)のこととも、大国主の子供(スサノオの孫?)とも言われている。

饒速日は天磐船に乗ってヤマトにやって来た渡来神。そう言えば、「マスミダ」って朝鮮語のように聞こえる。ニダ。

楼門

重厚な素晴らしい楼門を潜る。神紋は丸竹に九枚笹。オトーサンの母方の実家と同じ。

本殿

明るく広い境内には所々に欅の巨木が植わっている。

はとり神社

本殿の隣に服織神社(はとりじんじゃ)と言う摂社がある。祭神は萬幡豊秋津師比賣命(ヨロズハタトヨアキツリヒメノミコト)。天火明命のお母さん。別名、栲幡千千姫命(タクハタチヂミヒメノミコト)。

この方は確か石見の物部神社にも居た。現地説明版には七夕の織姫の事とも書かれてあった。(つづく)


エアアジアで行った名古屋の旅~その17 津島神社へ

7時55分発の弥富行き急行に乗車。名鉄名古屋を出て暫く行くと地上に出た。庄内川を渡り枇杷島を通過。須ヶ口から津島線に入る。

須ヶ口から先はローカル線となり、急行だった電車は各駅停車になる。
甚目寺(じもくじ)、七宝(しっぽう)、勝幡(しょばた)と、面白そうな名前の駅に停まっていく。北から尾西線が合流して津島駅に到着。名古屋から30分くらい。

津島駅前

名古屋市の西方に位置する津島市。現在はちょっと寂しい感じの町だが、かつては津島神社の門前町、天王川の港町、津島湊として非常に栄えた町である。

信長はこの町を押さえていたからこそ、長篠の戦いに3千丁もの鉄砲を投入できたのである。織田家の経済的基盤、「信長の台所」と言われる所以。

参道を行く

一丁前に高架の津島駅を出て、清林館高校の生徒の後に付いて歩く。清林館高校の生徒は左に曲がって行ってしまい、オトーサンは真っ直ぐ津島神社を目指して歩く。道の両側に古風な街灯が並んでいる。町並みは古い。

湾曲した道

堤下神社(とうげじんじゃ)という小さな社があった。路地が緩やかに湾曲している。堤の下の神社、カーブした道・・・。かつては川が流れていたのだろう。地図を見ると「船戸」、「筏場」、「橋詰」などの地名が近くにある。江戸時代後期に川の付け替えがあったようだ。

なるほど

津島駅から15分歩いて津島神社に到着。正面に大きな朱の鳥居。鳥居の奥には立派な楼門が見える。この楼門は1591年に秀吉が寄進したものとか。玉砂利が眩しい境内。本殿は南向き。本殿は松平忠吉(家康の4男)の寄進。

津島神社

欽明天皇元年(540年)、対馬からスサノオの和御魂を勧請したのが起源。全国の天王社の総社である。

スサノオさんが対馬に居たのも初耳だし、また何故こんな所までやって来たのだろう。昨日行った熱田神宮は草薙神剣を奉る神社だった。草薙神剣をオロチの尻尾の中から取り出したのはスサノオさんだ。

寄贈 豊臣秀吉

南門は少し小さめ。こちらは秀頼の寄進。建てたのは福島正則。「お伊勢参らば津島へ参れ、津島参らば片参り」と描かれた幟が立っている。片参りは宜しくないそうだ。

「お伊勢参らば津島へ参れ・・・」とは、伊勢参りの客を取り込もうとする当時の商売人の集客キャンペーン、キャッチコピーなのではないかと思う。 参拝客で潤う伊勢神宮の門前町を見て、「ウチもあやかりたい」とキャンペーンを打ったのだ。津島に限らず、伊勢神宮周辺の他の町でも同じようなことをやっている。

拝殿

江戸中期のお伊勢参りは既に物見遊山、観光旅行になっていたから、これはこれで良いのかも。伊勢神宮参拝は実は口実で、本当の楽しみはアフター伊勢だったりしたのである。

スサノオを奉る津島神社の神紋は当然木瓜紋で、織田家の家紋と同じ。津島神社は織田家の氏神。境内には数多の摂末社があって、メジャーな神様はほぼ網羅されている。

南門

東屋でちょっと休憩。暑い。上着を脱いで、Tシャツ1枚になった。神社の前には小さなみやげ物屋があって、ショーウィンドーに「あかだ」という菓子が並んでいた。買わない。長崎の「よりより」のような揚菓子のようだ。

清正公社

てくてく歩いて津島駅まで戻る。横道の奥に青い鳥居が見える。仕方なく寄り道。「清正公社」と書かれてある。案内板によると、加藤清正は子供の頃一時津島に住んでいたとか。清正さんは名古屋の人だったのか。

津島駅に戻ってきた

津島駅前に小さな仕出し屋があった。「ふなみそ」と看板が出ている。フナを赤味噌で甘辛く煮込んだモノ。興味はあったが買わない。他にモロコやハエなど川魚を使った食品があった。(つづく)


猫の島

Kちゃんと猫の島へ行った。

いい天気 

渡船に乗って20分、島に到着。凪で良かった。

島に到着 

島を反時計回りに1周する。

反時計回り 

福岡空港RW16へ進入する飛行機が、ひっきりなしに上空を通過する。

777

島の西端、相島積石塚群(あいのしまつみいしづかぐん)という古墳地帯に着いた。ゴロタ石の海岸。石を積んだ古墳が無数にある。

前方後方墳 

島の北側を進む。けっこう登り坂。

汗ばむ陽気 

小さな相島灯台の隣に、遠見番所跡があった。石垣だけ。

遠見番所跡 

島の西側まで来た。海ノ中道と志賀島が見える。

志賀島が見える 

島を1周して集落に戻って来た。

集落に戻って来た 

島に1軒だけの食堂で昼飯。オトーサンは「ボタ天プラ定食」、Kちゃんは刺身定食を発注。ボタ天プラとは、要するにさつま揚げだけど、圧倒的な弾力感がある。うまい。ごはんをオプションのサザエごはんに変更。うまい。お吸い物にもボタ天が入っていた。うまい。
刺身もコリコリでうまかった。 ←1切れもらった
次は絶対、海鮮ちゃんぽんを食う。

ボタ天プラ定食

猫は、思っていたより少な目。みんな人懐っこくて、カメラ慣れしている。

第1島ネコ 
グレー 
舐めネコ 
瞑想中 
覗き見中 
ハナクソ 

ピンボケ写真を量産。動物の写真は難しいな。
午後になると、天気予報通りポツポツ雨が降ってきた。13時50分の便で帰る。

うぐんし 

お世話になった「うぐんし」号。一見、速そうに見えるが、実は遅い非常に優雅に航行する。


エアアジアで行った名古屋の旅~その16 泥江縣神社とか

6時前に目が覚めた。朝食バイキングは6時半スタート。朝シャワーをしてから1階のビュッフェに降りる。まだスタート時刻にはなっていなかったが、数名の客がフライングスタートしていた。

オトーサンも参戦。トレーにパンとサラダ、ゆで卵、ゆでウィンナーなどをどんどん載せていく。ワッフルがあったので、これも積載。コーヒーとオレンジジュースもゲット。

パサパサワッフル

無料サービスなので文句は言えないが、ワッフルはパサパサで不味かった。バイキングなので残す訳にもいかず頑張って食べた。外に出て名古屋モーニングを試してみてもよかったかと、少し後悔する。7時20分にチェックアウト。

堀川に沿って木挽町通りを上る。伝馬町通りの手前、袋町通りを右折。

地名に萌える

袋町通りを少し歩くと、泥江縣神社(ひじえがたじんじゃ)に着く。変わった名前の神社。祭神は応神天皇、神功皇后、三女神だから八幡社だろう。859年に宇佐から勧請された神社のようだ。ビルの陰で境内はまだ薄暗い。

ひじえがたじんじゃ

名駅へ向かう。泥江町交差点を渡る。名駅はもうすぐそこ。やはり名古屋の道路はきれいだ。この桜通りも両側と中央分離帯には樹木が植えられ、新緑の季節だから尚更きれいだ。

泥江町交差点

JRセントラルタワーズが見えて来た。高さ245メートルの世界一高い駅ビル。名鉄名古屋駅へ。名鉄名古屋駅は地下駅で、地上部分は名鉄百貨店になっている。

高さ245メートル

階段を降りて構内へ進む。通勤通学客でごった返している。地上にはあまり人はいなかった。JR、名鉄、近鉄が乗り入れる巨大ターミナル駅前にしては人通りが少ないと感じたが、みんな地下を移動していたのだ。

名鉄名古屋駅

何とか人の流れを横切って、きっぷ売場へたどり着いた。今日は1日まるっと名鉄を使う予定。1日乗車券を買う。

名鉄名古屋駅

事前に調べておいた「セントレア選べるグルメきっぷ」を購入。1日乗車券にセントレアの食堂街で使える食事券が付いて3000円也。指定された10店舗の中から選べ、各店舗ではグルメきっぷオリジナルメニューが提供されるようだ。

セントレア選べるグルメきっぷ

メニューの内容はだいたい1500円程度と見た。通常の1日乗車券が3000円なので、ほぼ半額。帰りは20時の飛行機。家に帰り着くのは22時を過ぎるだろう。このグルメきっぷを利用して、セントレアで夕食を食って帰ることにした。(つづく)


エアアジアで行った名古屋の旅~その15 初めての味噌煮込み

伏見駅まで1駅だけ地下鉄に乗る。歩いて行ける距離だったけれど、今日はもう十分歩いた。せっかく1日乗車券を持っているのだし、地下鉄に乗ることにした。

伏見で地下鉄を降りて7番出口から地上に出る。目の前に「大甚本店」があった。名古屋で人気の大衆居酒屋で「酒場放浪記」にも登場。

大甚本店

ちょっと入ってみたかったけれど、狭い店内は相席が当たり前。余所者ソロのオトーサンには敷居が高い。今日はもうくたびれた。酔っ払いオヤジと対峙するエネルギーは残っていない。又の機会に。

伏見駅から5分、今夜の宿に着いた。17時半にチェックイン。旅装を解く。と言っても小さなリュックが1個だけだけど。

今夜の宿

荷物を放ってすぐにホテルを出る。オトーサンは腹が減っているのだ。今晩は名古屋メシと決めていた。ホテルに行く途中に有名な味噌煮込みうどんの店があった。その店に行ってみる。

18時に近いのに店内はガラガラだった。店内はシックでモダン。うどん屋の雰囲気ではない。店員さんはお馴染みの外国人でびっくり。変な日本語でテーブル席に案内された。

グツグツしてないし・・・

メニューを見てまたびっくり。スタンダード味噌煮込み(所謂、素うどんに相当)が1000円。トッピングが加わると2000円近くになる。高い。味噌煮込みとは案外高級な食べ物であるらしい。

味が濃い味噌煮込みにはご飯が必須らしい。是非に及ばず。セットメニューの「かしわ」を発注。1400円也。鶏肉と卵の入った味噌煮込みに、お新香とご飯が付いている。ビールは必死に我慢。

漬物は旨かった

少し待たされて味噌煮込みが運ばれて来た。あんまりグツグツしていない。赤味噌スープの中に打ち粉の付いたままの麺をぶち込むらしい。道理でスープに少し粘度がある。スープを啜る。辛い。麺は団子みたい。うどんをおかずにご飯を食う。

名古屋には申し訳ないが、オトーサンの好みな食べ物ではなかった。

世界の山ちゃん

ホテルに戻る途中、サンクスでビールと当てを買う。シャワーを浴びてからビール。テレビを点けると、熱田神宮創祀千九百年大祭の様子がニュースに写っていた。

どえりゃーうみゃー味噌カツ&のどごし生

一息ついてお菓子タイム。フロントで無料ウェルカムコーヒーとお茶をもらって来た。準備完了。餡麩三喜羅を開ける。

渋い古風な包装紙を破る。紙箱の中に3個、麩まんじゅうが仲良く並んでいる。ゴルフボール3個セットみたい。皮はふわふわで弾力のある淡雪のよう。香りが良い。中はしっとりとした漉し餡。3個も要らないと思っていたけど、ペロッと3個食べてしまった。

麩まんじゅう

天気予報を確認。明日も良い天気みたいだ。気温は高そう。ちょっと物足りない。ホテル近くに「世界の山ちゃん」があったのだけれど、明日もたっぷり歩く予定。今日はもう休もう。(つづく)


エアアジアで行った名古屋の旅~その14 栄界隈

大きな交差点の角に地下鉄市役所駅の入り口があった。城郭風の造りになっている。

地下鉄市役所駅

交差点の向こう岸には、名古屋市役所と愛知県庁舎。いずれも洋風建築なビル。屋上の塔屋が瓦屋根になっている。帝冠様式と言う建築様式らしい。なかなかカッコいい。

名古屋市役所&愛知県庁

市役所駅から地下鉄に乗車。2駅で栄へ。名古屋一番の繁華街。オアシス21というバスターミナル?へ行く。意図して行った訳ではなく、地下鉄を降りてなんとなく歩いていたら着いてしまった。

オアシス21

楕円形のガラス屋根の下が地下2階まで掘り込まれている。底の部分は広場になっていて、その広場を取り囲むようにカフェなどの店舗が並んでいる。

人影

ふと上を見上げるとガラス屋根越しに人影が見えた。屋根上に登れるようだ。シースルーエレベーターに乗って屋根上に登ってみる。

池

ガラス屋根の上はなんと池になっていて、池の周囲が遊歩道になっている。水の底には地下2階の広場がゆらゆら透けて見える。なかなか凝った造りだ。歩道の部分は残念ながら曇りガラスになっている。下から覗いても見えない。学校帰りの女子高生が数人、まったりと過ごしていた。

ゆらゆら 
芝生広場

久屋大通り。通りの真ん中が公園になっていて、公園の先にはテレビ塔がある。札幌の大通り公園と非常に良く似ている。

久屋大通り

久屋大通りを渡って西へ。側面に観覧車の付いたビルが見えてきた。サンシャイン栄と言うファッションビル。SKE48の劇場が入っているらしい。オトーサンはファッションにもSKE48にも興味がないので近寄らない。

観覧車が見える

大津通りを下って名古屋三越へ。全く用のない1階はスルー。エスカレーターに乗って地下へ。

三越に入ったのは、大口屋という老舗菓子屋が作っている「餡麩三喜羅」(あんぷさんきら)という麩まんじゅうを購入するためだ。三越に出店があったのを思い出した。

あんぷさんきら

今日のお茶うけに買い求めることにする。1個で良かったのだが、最小でも3個入りしか売っていなかったので、仕方なく3個入りを購入。要冷蔵で2日間しか持たない。九州まで持って帰る訳にはいかない。頑張って今日中に3個入りを完食しなければならない。

サカエ地下街

三越を出ると時刻は17時を回っていた。仕事帰りの名古屋嬢が歩道を闊歩している。まだまだ陽は高いがそろそろホテルに向かうことにする。(つづく)


エアアジアで行った名古屋の旅~その13 尾張名古屋は城で持つ

護国神社を出て名古屋城へ向かう。愛知県警や名古屋高等裁判所などが立ち並ぶ官庁街。名古屋城の三の丸に当たる。

街路樹の素晴らしい片側5車線の道路をずいぶん歩いて、やっと名古屋城西の丸入り口に着いた。

出来町通り

元は今川の城があった所で、織田信秀(信長の父)の時代に那古野城(なごやじょう)と呼ばれるようになった。信長は多分(勝幡城で生まれたという説もあり)ここで生まれている。信長が清洲に移った後は廃城となる。

昭和5年まで離宮だった

関が原の後、家康は天下普請により那古野城の跡地に名古屋城を築城。大阪城と同じやり方。

大阪人は今でも大阪城を豊臣の城と認識しているが、名古屋の人は、名古屋城は織田の城ではなく徳川の城と認識しているようだ。名古屋人は大阪人より少し偉い。

地下鉄の1日乗車券を提示して2割引きの400円で入場。

西の丸正門

西の丸に入るとすぐに金鯱(きんしゃち)のレプリカと、大きな花崗岩が展示されている。高さ1.5メートルほどの柱状の石。「た中ちくご守石」と刻まれている。「た中ちくご守」とは、筑後柳川藩、田中忠政のことらしい。西の丸の担当は筑後柳川藩。はるばる柳川からご苦労なことである。

た中ちくご守

梅林の中を通り抜けて内堀の縁まで来た。内堀は空堀になっている。天守台の扇石垣は加藤清正の担当。

御深井丸(おふけまる)を抜け本丸へ。天守閣に登る。天守閣は鉄筋コンクリート7階建て。内部はお約束の博物館的展示室となっている。

昭和34年再建

吹き抜けの階段を頑張って7階まで登る。汗びっちょり。最上階の展望スペースから名古屋市内が見渡せる。北方に4発のプロペラ機が2機、編隊を組んで飛んでいる。小牧基地のC-130と思われる。遠くに雪を被った御嶽山も見えた。

階段 
天守からの眺め 
てれぼーくん 
展示コーナー 
清正石

階段を降りながら各階の展示品をチラッと見学。特記するものなし。

天守の東側では本丸御殿が復元建築中。公開は5月末からとか。帰りは二の丸を経由。現在は庭園と愛知県体育館になっている。

青松葉事件之遺跡碑  

「青松葉事件之遺跡」と刻まれた石柱が立っていた。青松葉事件とは何ぞやと調べてみたが、いまいち良く分らない。どうも徳川慶勝が行った?尾張藩内部佐幕派の粛清のようだ。佐幕派と見られる藩士14名が斬首されている。事件の真相は未だ明らかになっていないらしい。

二の丸東門  

東門から出場。地下鉄市役所駅まで歩く。(つづく) 


エアアジアで行った名古屋の旅~その12 東照宮と護国神社

大須観音駅から地下鉄で2駅、丸の内で下車。地上に出る。太陽が眩しい。

眩しい

丸の内と言っても、ここは外堀の外側。本当は「丸の内」ではない。

地下鉄丸の内駅

京町通りを西へ。「世界の山ちゃん」を過ぎて左に曲がると銅の鳥居が見えた。銅の鳥居を潜って東照宮の境内へ入る。

銅の鳥居

東照宮だから祭神は無論家康である。名古屋東照宮は家康の9男、尾張徳川藩初代藩主、徳川義直が家康の3回忌に建てた神社。神紋は三つ葉葵。どこの東照宮から勧請したのかは、説明版には書かれていなかった。

ボコボコ  

樹木に覆われた境内。木漏れ日がきれい。境内は月極駐車場として貸し出されているようで、石畳の参道脇にも車がボコボコ停まっている。神社経営も大変なのかな。

那古野神社  

東照宮に隣接して那古野神社(なごやじんじゃ、なごのじんじゃ)が鎮座している。隣接と言うよりは、同じ敷地内にあると言った方が正しい感じ。那古野神社の祭神はスサノオとクシナダヒメ。津島神社系の神社だ。神紋は木瓜。摂社に稲荷社、金山社など。

外堀通り  

外堀通りを渡る。上空には高速道路。外堀を渡る。樹木が繁っている。堀の中は草ボーボーで水はない。

本町橋 
空堀 

堀の内に入って左側に護国神社。愛知県護国神社をちょっと見学。

説明版によると、尾張徳川藩主、徳川慶勝(よしかつ)により、戊辰戦争で亡くなった藩士の霊を奉るために建てたそうだ。明治8年に招魂社(後の護国神社)となる。

愛知県護国神社

戊辰戦争での徳川軍は賊軍。朝敵である徳川の藩士を護国神社に奉るのは変だ。全国の護国神社の総本社、靖国神社には旧幕府軍側の戦没者は奉られていない。実は同じ徳川でも尾張徳川藩は新政府軍、すなわち官軍として戊辰戦争を戦ったのだ。

ちなみに、会津藩主、松平容保は徳川慶勝の弟というから皮肉である。

戦艦大和46センチ砲

境内の片隅に戦艦大和の46センチ砲弾があった。「戦艦大和祈念碑」と刻まれた御影石の台座の上に乗っかっていた。(つづく)


エアアジアで行った名古屋の旅~その11 しろ、くろ、抹茶、小豆、コーヒー、ゆず、さくら

仁王門通りのアーケードを横切る。天井に巨大な金玉がぶら下がっている。どうして金玉がぶら下がっているのかは分からない。

金玉

ちなみに、重要器官である金玉が、なぜ身体の外にぶら下がっているかと言うと、金玉は高温に弱いからである。金玉のシワシワは表面積を増やして冷却効率を上げるためである。夏場の金玉がだら~んとだらしないのは、決してオーナーさんの生活態度などに問題があるからではなく、きちんとした道理があるのだ。

話を元に戻す。七寺(ななつでら)の横を通って大洲通りに出た。

名古屋スポーツセンター

大須通りを西へ少し歩くと西大須の交差点で、交差点の角に名古屋スポーツセンターが鎮座。ここのアイススケート場で伊藤みどり、浅田真央、安藤美姫などが育っている。そしてこの名古屋スポーツセンターは大須古墳群、二子山古墳の上に建っている。

餃子の王将 大須観音店

西大須の交差点を北上して、いよいよ大須観音に至る。

大須観音は真言宗の寺院で、家康の命により、犬山城主、成瀬正成により現在の場所に移転。日本最古の古事記(の写本)を所有しているのがこの大須観音である。家康が大須観音を移転したのは、この古事記など貴重な古典を保護する目的があった。

本堂

大須観音の元あった場所(羽島市桑原町大須)は、木曽川と長良川に挟まれた低湿地で水害の多い土地だった。家康は水没の危機から貴重な古典を救ったのだ。さすが家康。

鐘楼

立派な仁王門を潜って境内へ。広い玉砂利の境内。鳩多し。頭上に注意しなければならない。油断していると爆撃を食らう。

大正琴発祥の地

階段を上って本堂へ。コンクリート造りの本堂だ。おばちゃん達がでっかい香炉の前で、懸命に煙を浴びている。実を言うと余り興味はない。ちゃちゃっと見学を済ませてアーケード街に入ってみる。

大須観音通りアーケード

たい焼き、から揚げ、タピオカなど、つまみ食い関係の店が多い。有名なういろう屋もある。写真を撮っていたら、団子屋の店先で、今まさに団子を頬張ろうとするおばちゃんと目が合った。

おばちゃん多し

伏見通りに出て地下鉄の駅へ向かう。(づづく)


プロフィール

オトーサン

Author:オトーサン
昭和生まれのおじさん、九州地方の北の方生まれ
訳あって現在、北陸地方のとある町に出稼ぎ中

おはぎは絶対つぶ餡派です!
ラーメンよりうどんが好きです!

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