18きっぷで行く、ちょっと長崎~その5 帰路はまったり読書タイム
崇福寺のすぐ隣にある八坂神社へ。
1626年に京都からスサノオさんが勧請されたようだ。明るく広い石段を上がる。
変わった形の紋。八坂神社なのにキュウリ紋ではない。
調べてみると、祇園守紋と言うらしい。
中央のクロスが十字架を表しているという説もあるそうだ。
境内はきれいに整えられている。
櫻姫美人稲荷という末社あり。ちゃちゃっと見学を済ませて、思案橋方面へ戻る。
電車通りから1本入った商店街を行く。
狭い路地だが、実は国道324号線である。
長崎名物トルコライスで有名な店、「ツル茶ん」の前を通過。
国道324号線はアーケードになった。賑やかで人通りが多い。
アーケードを抜ける。
市電の線路と中島川との間の狭い隙間に、「土佐商会跡」の石碑があった。
石碑も案内板も真新しく、どうも大河ドラマに合せて整備されたようだ。
中島川を鉄橋(てつばし)で渡る。
国道324号線の歩行者専用区間は終了。
車道となった国道は左に逸れて、オトーサンは真っ直ぐ進む。
古いカラスミ屋の前まで来た。そろそろ駅に戻ろうと思いながらも、なんとなく歩き続ける。
白いトラス鉄橋を渡ってみる。
出島橋。国内最古の現役鉄橋。かつてこの辺りに出島があった。
橋の上から、弧を描いた石垣が見えるが、これはオリジナルではないそうだ。
現在一帯は「出島」として整備されつつあり、最終的には「出島」になるようだ。
出島の中にある出島のミニチュアを、塀の外から見学。
見覚えのある場所に出た。中華街の入り口の派手な門が見える。
築町の電停だ。ここから市電に乗って、長崎駅へ戻ることにする。
築町から長崎駅前へ行く市電は、一旦長崎駅とは反対の方向へ進む。
何度か利用しているから分かるけれど、初めての時は反対方向の電車に乗ってしまった。
長崎駅前に着いた。
構内のおみやげ売場を覗くが、特に購買意欲をそそるものなし。
ホームの売店で、お茶とドラ焼きと、中国菓子「よりより」を購入。
ホームに数匹の子猫がいて、待合客の視線を集めていた。
15時15分、竹松行き普通列車は定刻に発車した。長崎滞在は4時間と12分。
2両編成のディーゼルカーは、往きとは違って長崎トンネルは通らず、海沿いの旧線を走る。
ひと山越えて大村湾に出た。
諫早まで大村湾沿いを行き、諫早で鳥栖行きの電車に乗り換え。
諫早からは有明海沿いを行く。天気が良くないのが残念。
鳥栖までの2時間ちょっと、文庫本を読みながら、のんびりと過ごした。(おわり)
18きっぷで行く、ちょっと長崎~その4 バクダン最高?
思案橋電停で下車。
学生の頃、悪友3人と長崎を訪れたことがある。
今のように簡単に情報が手に入る時代ではなかった。
知っている観光地と言えば、オランダ坂とグラバー亭、めがね橋くらいのもので、
それすら何処にあるのか全く分からなかった。ただ闇雲に歩き回った。
思案橋に来たとき、何故思案橋なのか思案した。
どの店に入ろうか思案するから、思案橋なのだろうと思った。
正解はもちろん「行こうか戻ろうか思案橋」なのだけれど、当たらずとも遠からず。
かつて思案橋(丸山)は日本三大遊郭(島原、吉原、丸山)に数えられていた。
現在でも、そっち系のお店が多い。 らしい。
思案橋にやって来たのは、そっち系のお店に行くためではない。
思案橋ラーメンという店で、昼メシを食うためである。
思案橋ラーメンは、思案橋と観光通りのちょうど中間くらいの所にあった。
福山雅治が時々顔を出すラーメン屋らしい。
時刻は13時。お昼のピークは過ぎた頃と思われるが、結構混雑している。
カウンター席に案内された。
福山お勧めの「バクダンちゃんぽん」を注文する。
壁には福山を始め、数多の芸能人の色紙が掲げられている。
まいうー石ちゃんの色紙も、もちろんある。
バクダンちゃんぽんが運ばれて来た。
見た目普通のちゃんぽんの上に、黄色いクリーム状の物体が乗っかっている。
ニンニクとラードを合わせたペーストのようである。
食ってみる・・・素直に中華街に行き、京華園あたりで食べれば良かったかな。
本当はバクダンラーメンの方かも知れない。
福山直下の特等席と思っていたら、とんでもない大間違い。
入れ替わり立ち替わりに、福山の色紙を写メりに来る。
食ってる最中にも、背後から頭越しに写メられる。落ち着いて食えない。
店を出ると、傘を差さなくても歩ける程度に、雨は止んでいた。
崇福寺へ。
黄檗宗の唐寺で、大河ドラマ「龍馬伝」のロケ地。
坂本龍馬(福山雅治)と高杉晋作(伊勢谷友介)が、チャンチー(中国将棋)を指していた場所。
実は、オトーサンは福山が案外好きなのである。
繁華街を抜け左に曲がる。三門が見えてきた。竜宮城のような赤い三門を潜る。
扉の装飾が、日本の寺社ならおっぱい型が一般的だが、ここは天狗ような顔になっている。
境内には赤と黄色の提灯がいっぱいぶら下っている。お祭りの準備をしているようだ。
プレハブの料金所で、愛想もクソもない、やる気のないおっさんに入場料300円を支払う。
石段を上がると第一峰門。国宝である。
極彩色の装飾が東照宮のよう。裏面には青いコウモリが描かれている。
コウモリは、中国では「福」を表すらしい。
本堂の前は石畳になっている。意外と狭い。
波打った石畳がいい。
線香売場からの、おばちゃんの「買えよー」的視線がきつい。
大雄宝殿と呼ばれる本堂も国宝で、お釈迦様を奉っているらしい。
本堂の向かい側には、関羽が奉られている。怖い顔をしている。
傘を差しながらカメラを庇って、つまらない写真を量産した。
天気の良い日に来たかった。(つづく)
18きっぷで行く、ちょっと長崎~その3 長崎はやっぱり雨だった
風頭公園に入園。 雲が垂れ込めて、今にも降り出しそうな天気。園内を進む。
古い墓所があった。「上野彦馬の墓」と説明板にある。
上野彦馬とは、たぶん日本で最初のカメラマンである。
有名な坂本竜馬の写真(着物の襟に左手を突っ込んでるヤツ)は、彼が撮ったものだ。
上野彦馬の墓から左に折れると、竜馬像の前に出た。
腕組みをした坂本竜馬の銅像が、長崎の町を見下ろしている。
と思ったが、よく見ると坂本竜馬は長崎の町なんか見ていない。
もっと遠く、遥か水平線を見つめている。
竜馬像の前は展望所になっている。
さっき行った本蓮寺と背後の墓地群、長崎港、女神大橋なんかが丸見え。
3本マストの遊覧船「観光丸」と、九州商船の福江行きフェリー「万葉」が、
女神大橋の下を仲良く進んでいる。
上海航路のフェリー「オーシャンローズ」が、松ヶ枝埠頭に停泊しているのが見える。
三菱重工長崎造船所には、ワレニウス・ウィルヘルムセンの自動車運搬船と、
自衛隊のイージス艦「あしがら」が泊まっている。楽しい。
展望所の片隅に司馬遼太郎「竜馬がゆく」の碑があった。
風頭公園を出て、傾斜地の狭い路地を下る。
寺町から風頭公園までのコースが、竜馬通りとして整備されている。
分岐点には手作りの案内看板。
たぶん竜馬が描かれているのだが、めちゃくちゃ下手くそである。
とうとう雨が降り出した。長崎で雨なんてベタだけど、本当だから仕方ない。
家を出る時、傘を持って行くべきか随分迷ったが、持って来て正解だった。
雨はすぐに本降りになった。
亀山社中記念館の前に出た。
雨が降ってるし、有料だし、靴を脱がないといけなそうだし、面倒なので入館しなかった。
亀山社中記念館のすぐ前に、竜馬のぶーつ像があった。
操舵輪の前に、ブロンズの長靴像?が置かれてある。記念撮影スポット。
観光中の母娘に写真を頼まれた。
心優しいオトーサンは、雨に濡れながらも快く撮ってあげた。
高宮稲荷神社の参道に出た。
雨はいよいよ酷くなって、靴の先がびちゃびちゃ。
高宮稲荷の境内には入らず、赤い鳥居の並ぶ参道の石段を下る。
雨に濡れた石段はツルツル滑りやすい。
下から登って来たアベックの男の方がツルっと転倒。カッコ悪い。
地上に降りて来た。竜馬通りからは、もう外れてしまったようだ。
西へ行く。見覚えのある寺の前に出た。
産女(うぐめ)幽霊の木像がある、光源寺という浄土真宗の寺である。
少し前にテレビでやっていた。
夜な夜な墓を抜け出して、赤子のために飴を買いに行く幽霊の話。
似たような話は、全国各地にあるような気がする。
適当に歩いて行くと、宮地嶽八幡神社があった。
参道が駐車場状態になっている小さな神社。
ここの見所は陶製の鳥居。
明治21年に奉納された有田焼。
100年以上雨曝しで立っているはずだが、ラピスラズリのような青が綺麗に残っている。
更に適当に歩いて行くと、中島川に架かる高麗橋に出た。橋の向こうには伊勢宮。
地図を見ながら歩いている訳でもないのに、不思議と行きたい場所に着いてしまう。
土砂降り。もう歩きたくない。諏訪神社前から市電に乗って思案橋まで移動。(つづく)
18きっぷで行く、ちょっと長崎~その2 風頭公園へ
長崎市長暗殺現場前を通って西坂公園へ行く。
二十六聖人殉教地。
秀吉の命により、京都、大阪で捕らえられたキリスト教徒26人が処刑された場所だ。
わざわざ長崎まで連れて行ったのは、長崎がキリスト教の蔓延する土地だったからだろう。
殉教して聖人扱いされちゃったから、どうも逆効果だったような気がする。
26人が天に昇って行く姿で、壁に埋め込まれている。
パウロ三木という人は磔状態で、集まった見物人に、
「秀吉を含めて、全ての日本人はキリスト教徒になるべきだ」と、説教を垂れたそうだ。
公園のベンチで猫が昼寝している。
近づいても起きない。全く無防備。写真を撮って遊ぶ。
西坂公園から少し歩くと、本蓮寺という日蓮宗の寺がある。1620年に日恵が開創。
日蓮宗の熱心な信者、加藤清正が発願した寺である。
元々この場所にはキリスト教の教会があった。
秀吉から家康に至る、キリシタン弾圧の現場である。
キリスト教を駆逐するため、敢えてこの場所に建てられたのだろう。 と、思う。
境内には、キリシタン達が投げ込まれた井戸、南蛮井戸が残っているらしい。
正面に日蓮上人の巨大な立像。
本蓮寺の背後に連なる斜面は、墓石が立ち並ぶ広大な墓所。
下から見上げると、山の上にある有名なホテルは、墓場の中に建っているように見える。
いろいろと怖ろしいので、本蓮寺の境内には入らない。
幕末には、勝海舟がこの寺に4年ほど滞在した。
海援隊の沢村惣之丞の墓もあるそうだ。
長崎駅へ戻る。
大黒町の飛龍園というハデな中華料理屋の前に、巨大な皿うどんがディスプレイされていた。
長崎駅前からバスに乗り、風頭公園まで登る。
竜馬像、亀山社中などがある定番観光コースに乗っかるためである。
風頭公園は山の頂上にある。下から登っても良いのだけれど、上から降りる方が楽である。
バス停は駅から少し離れた所にあった。
10分くらい待つと、風頭山行きのバスがやって来た。
最前列左側の席に座る。良い眺め。
長崎市役所~県庁の前を通って思案橋。
路面電車の終点、正覚寺下を過ぎると、道は上り坂となる。どんどん登って行く。
長崎半島を横断して茂木へ続く国道324号。
この道は学生時代にバイクで通っている。なんとなく憶えている。
国道から離れ、狭い路地を大型のバスが登って行く。
終点の風頭山バス停に到着。長崎駅前から25分くらい。170円ナリ。
18きっぷで行く、ちょっと長崎~その1 中央軒のかしわうどん
青春18きっぷが1枚余っている。使用期限までに処理しなければならない。
日帰りで長崎へ行ってみることにした。
18きっぷで長崎へ入るには肥前山口~諫早間がネックとなる。
この区間を走る普通列車は、朝の早い時間に数本あるだけで、それらを逃すと午後になる。
残念ながら、始発列車で出発しても、その朝の数本には間に合わない。
今回は佐世保線、大村線を経由して、午前中に長崎入りする行程を考えた。
始発列車に乗り、博多を経て鳥栖で下車。鳥栖で30分ほど時間がある。
鳥栖駅と言えば、立ち食いうどんである。
6番ホームのスタンドで、かしわうどんを注文。
・・・ん、あんまり旨くない。去年食べた時は旨いと思ったのに、今回は微妙。
朝イチでまだ本調子ではなかったのだろうか。
7時24分発の早岐行きに乗車。
4両編成のシルバーの電車。UVカットガラスなのが残念だが、本皮シートで快適。
佐賀駅を過ぎて、嘉瀬川を渡る。バルーンは上がっていない。
時々薄日が差すが、基本的には曇り空。
肥前山口で列車は分割。後ろ2両の肥前大浦行きを残して発車。佐世保線に入る。
陶器市なんて随分行っていないなぁ、などと思いながら有田の町を通過。
9時1分、早岐に到着。大村線の長崎行きに乗り換える。
終点の佐世保まで行ってもいいのだが、滞在時間6分のトンボ帰りになる。
早岐でまったり過ごすことにした。40分ほどある。改札を出る。
早岐駅は明治30年生まれの木造駅舎。
駅前の県道を渡り、歯科医院の駐車場を抜けて、早岐瀬戸に出た。
川のように見えるが、歴(れっき)とした海峡である。対岸は針尾島。
時間的にムリだろうと思い早岐神社には行かなかったが、案外行けたかも知れない。
駅に戻ってホームのベンチでぼ~っと過ごす。
ホーム上に乗客が大勢溜まってきた。多分皆同じ列車に乗るものと思われる。
長崎までの所要時間は1時間20分ほど。立ちっぱなしは辛い。
9時38分発、長崎行き快速シーサイドライナーが到着。青いディーゼルカーだ。
長崎まで行きそうになさげなおじちゃんの隣の席を確保。
かなり混雑している。今日は月曜日。平日のこの時間にしては若い人が多い。
案の定、おじちゃんはすぐに降りて行った。窓際の席を確保。
列車は大村湾に沿って南下する。
彼杵(そのぎ)に停車。
彼杵と言えば、何故だか相撲中継を思い出す。
「長崎県東彼杵郡出身、ナンタラ部屋、前頭三枚目・・・」というヤツである。
なんで彼杵なのか分からない。
ちなみに、オトーサンお気に入り仲里依紗がここ彼杵の出身である。
諫早に停車。乗客の3分の2くらいが入れ替わる。相変わらず混雑している。
長い長い長崎トンネルを抜けると、いきなり長崎の市街地へ飛び出す。
10時58分、長崎駅に到着。
出発してから5時間弱列車に乗っていた事になるが、そんなに辛くはなかった。 (つづく)